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修禅寺物語(岡本綺堂)のあらすじ・登場人物

伊豆の面作師の物語

  • 歴史

岡本綺堂 1911年(明治44年)1月 「文芸倶楽部」

文字数
12,908字
読了目安
約26分
表記
新字新仮名
舞台
  • 静岡県

この作品について

岡本綺堂の戯曲で、1911年(明治44)に二代目市川左団次によって上演された新歌舞伎の初期の代表作。舞台は伊豆の修禅寺で、同寺に伝わる源頼家の面にまつわる伝承を題材にしている。自分の納得する作しか世に出さない面作師の頑固さと、その娘たちの暮らしが、鎌倉の政争を背景に描かれる。綺堂の名を広めた作品として知られる。

あらすじ

伊豆修禅寺の里に住む面作師・夜叉王のもとへ、鎌倉を追われこの地に幽居する前将軍・源頼家が、自らの面影を残すために注文した面の催促に、じきじきに訪れる。だが夜叉王は、半年を費やしながら一つも意にかなう面ができぬと言う。幾たび打ち直しても、その面には生気がなく、恨みを宿した死人の相ばかりが現れるのだ。納得のいかぬ作を世に残すまいとする夜叉王だが、頼家の怒りを鎮めようと娘の桂がその面を献上してしまう。頼家は面を気に入り、栄達を望む気位高い桂を側女として召し出し、「若狭の局」と名づける。その夜、北条方の刺客・金窪行親が頼家の命を狙って修禅寺を夜襲する。桂は頼家の面と装束を身につけ、「左金吾頼家これにあり」と敵をあざむく身代わりとなって斬り抜けるが、深手を負って父の家へ倒れこむ。やがて頼家も討たれたと知れる。死にゆく娘を前に、夜叉王は血に染まった面を見つめ、あの死相こそ頼家の定められた運命を我知らず写しとったものだと悟る。芸が神に入った証と天下一を誇る夜叉王は、なおも娘の断末魔の顔を後の手本にと筆をとり、その死に顔を写生しはじめるのだった。

登場人物

冒頭部(原文より)

かつら (やがて砧の手をやめる)一あまりも擣ちつづけたので、肩も腕も痺るるような。もうよいほどにして止みょうでないか。 かえで とは言うものの、きのうまでは盆休みであったほどに、きょうからは精出して働こうではござんせぬか。 かつら 働きたくばお前ひとりで働くがよい。父様にも春彦どのにも褒められようぞ。わたしはいやじゃ、いやになった。(投げ出すように砧を捨つ) かえで 貧の手業に姉妹が、年ごろ擣ちなれた紙砧を、とかくに飽きた、いやになったと、むかしに変るお前がこのごろの素振りは、どうしたことでござるかのう。

「修禅寺物語」岡本綺堂(青空文庫)

末尾部(原文より)

夜叉王 幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神に入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。(快げに笑う) かつら (おなじく笑う)わたしもあっぱれお局様じゃ。死んでも思いおくことない。ちっとも早う上様のおあとを慕うて、冥土のおん供……。 夜叉王 やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。苦痛を堪えてしばらく待て。春彦、筆と紙を……。 夜叉王 娘、顔をみせい。 かつら あい。 (桂は春彦夫婦に扶けられて這いよる。夜叉王は筆を執りて、その顔を模写せんとす。僧は口のうちにて念仏す。) ――幕――

「修禅寺物語」岡本綺堂(青空文庫)

名文

あっぱれとの御賞美ははばかりながらおめがね違い、それは夜叉王が一生の不出来。よう御覧じませ。面は死んでおりまする。

頼家の面を讃えられた面作師・夜叉王が、それを一生の不出来と言い切る場面。何度打ち直しても死相が消えなかった面が、物語の行く末を予告する。

神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神に入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。

頼家の最期を知った夜叉王が、面に現れた死相を自らの技の証と悟って笑う。芸に憑かれた職人の凄みが極まる、『修禅寺物語』の名台詞。

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