前句付とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- まえくづけ
雑俳の一つで、出題された七・七の短句(前句)に、五・七・五の長句(付句)を付けて、その出来を競うもの。逆に長句に短句を付ける形もあった。連歌・俳諧で前句に句を付ける付合の稽古が、独立した遊びになったものである。前句の意味を思いがけない方向へ読み替える面白さは、山崎宗鑑の編とされる室町時代末の『新撰犬筑波集』の、「きりたくもありきりたくもなし」に「ぬす人をとらへてみればわが子なり」と付けた付合などにすでに見える。流行の始まりは万治年間(1658〜1661年)とも元禄年間(1688〜1704年)ともいわれ、元禄ごろには点者と作者を仲介する会所ができて、広く句を集めて点者が選ぶ興行が行われ、高点句には賞品が出され、句集も出版された。江戸で前句付の点者として最も人気を集めたのが、浅草の名主で、宝暦7年(1757年)に万句合の興行を始めた柄井川柳(1718〜1790年)である。都会的で軽妙な句を採るその選句は「川柳点」と呼ばれた。明和2年(1765年)には、呉陵軒可有が川柳の選んだ句の中から、前句がなくても意味の通じる句を選び、前句を省いて『誹風柳多留』として刊行する。こうして付句が前句を離れて一句で読まれるようになり、やがて選者の名をとって川柳と呼ばれる詩型が生まれた。