連歌とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- れんが
複数の作者が五・七・五の長句と七・七の短句を交互によみ連ねてゆく、中世に栄えた共同制作の詩。和歌の上句と下句を二人で分けてよむ遊びから発し、鎌倉時代以降、百句を連ねる百韻の形式と、同じ趣向の句が近くに並ばないよう定めた式目(作法)が整えられて、座の文芸として成熟した。南北朝期には二条良基が救済らの協力を得て最初の連歌撰集『菟玖波集』(1356年)を編み、連歌は和歌に準ずる文芸としての地位を得る。室町中期の宗祇はこれを芸術の高みへ導き、弟子の肖柏・宗長とともに水無瀬宮でよんだ『水無瀬三吟百韻』(1488年)は百韻の規範と仰がれた。一句一句が前の句を受けながら新しい世界を開き、しかも全体で一つの流れをなす点に、日本の詩の共同性がよく表れている。この格式を離れ、俗語や滑稽を取りこんだのが山崎宗鑑『犬筑波集』などの俳諧連歌で、やがて近世の俳諧を、さらに俳句を生む母体となった。近世の俳諧では、百韻を短くした三十六句の歌仙が連句の主流となる。