短歌とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- たんか
五・七・五・七・七の五句三十一音からなる歌。「みそひともじ」ともいう。『万葉集』の時代には長歌や旋頭歌と並ぶ歌体の一つだったが、長歌が衰えたのちも詠み継がれ、平安時代以降は「和歌」といえばほぼこの形式を指すようになった。千年を超えて日本人の抒情を担ってきたこの詩型も、明治に入るとその因習が問われる。明治27年(1894年)、与謝野鉄幹が『亡国の音』で宮内省御歌所を中心とする旧派の歌を激しく攻撃し、明治31年(1898年)には正岡子規が新聞「日本」に『歌よみに与ふる書』を連載して『古今和歌集』を退け『万葉集』へ帰れと説いた。鉄幹の「明星」からは与謝野晶子が官能を大胆にうたう『みだれ髪』(明治34年)を放って浪漫的な歌風の流行をもたらし、子規の根岸短歌会は写生を徹底する「アララギ」へと結実して斎藤茂吉らを生んだ。石川啄木は生活の哀歓を平明な口語調と三行書きで刻んだ『一握の砂』(明治43年)『悲しき玩具』(明治45年)で、近代短歌に新しい道を開いた。