斎藤茂吉の生涯と代表作

命を歌に写す

生没
1882–1953
出身
山形県
文学史
  • 写生派
Wikipedia
Wikipedia

略歴

1882年(明治15年)、山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市)に生まれた歌人・精神科医。1896年に上京して浅草で医院を営む斎藤紀一のもとに寄寓し、1905年に斎藤家の養子として入籍した。東京帝国大学医科大学に学ぶかたわら、正岡子規の写生説に導かれて伊藤左千夫に師事し、短歌の道に入った。1908年(明治41年)に創刊された雑誌「アララギ」に加わり、島木赤彦らとともにその中心的歌人として活躍。1913年(大正2年)に刊行した第一歌集「赤光」は、生と死を見つめる生命力あふれる写生の歌で歌壇に衝撃を与え、近代短歌の一つの頂点をなした。以後も「あらたま」「つゆじも」「白き山」などの歌集を世に問い、写生の理念を深めていった。医師としてはヨーロッパに留学し、帰国後は青山脳病院の院長を務めた。随筆・評論にも健筆をふるい、万葉集の秀歌を平明に解説した「万葉秀歌」は広く読み継がれている。1953年(昭和28年)、70歳で没した。「赤光」には実母の死を詠む「死にたまふ母」などの連作があり、家族の死と生命の感覚を強い言葉で表した。初版刊行後も作品の選択や表現を見直しており、写生を固定した方法にせず、生涯を通じて歌の表現を磨き続けた。

収録作品

名文

斎藤茂吉の名文

関連する作家