三筋町界隈(斎藤茂吉)のあらすじ・登場人物
明治の浅草・三筋町の記憶
- 文字数
- 14,698字
- 読了目安
- 約29分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 東京都
この作品について
斎藤茂吉の追憶随筆で、1937年(昭和12)前後に発表された。少年のころの茂吉が上京して過ごした、浅草の三筋町界隈での明治二十九年ごろからの四、五年間をふり返る。書き出しには、日清戦争後の世相や、森鷗外『めさまし草』、尾崎紅葉『多情多恨』など同時代の出来事と文学が挙げられる。東京に鉄道馬車が走り、浅草観音の境内に一人で砂絵を描く婆さんがいた時代の町の風物が、色粉の使い方まで具体的に描かれる。
あらすじ
明治二十九年、山形の田舎から上京してきた少年の茂吉は、遠縁にあたる養家・斎藤家の医院がある浅草の三筋町界隈で暮らしはじめる。日清戦争が終わり、三陸の大海嘯や足尾銅山鉱毒事件が世を騒がせ、鴎外や紅葉らが筆をふるっていたその時代、浅草観音の境内では砂がき婆さんが色の粉で自在に絵を描き、蔵前どおりには目隠しをした馬の曳く鉄道馬車が走っていた。縁日の賑わい、通学路で見かけた少女、女中に連れられて迷い込んだ女湯の記憶、そして診察の謝礼に父が貰い受けながら火災で焼失した賀茂真淵書入の『古今集』のこと――。歌人となった茂吉が、少年の日に見た明治の東京の風物と自らの淡い感情のめざめを、愛惜をこめてこまやかに綴った追憶随筆である。
冒頭部(原文より)
この追憶随筆は明治二十九年を起点とする四、五年に当るから、日清戦役が済んで遼東還附に関する問題が囂しく、また、東北三陸の大海嘯があり、足尾銅山鉱毒事件があり、文壇では、森鴎外の『めさまし草』、与謝野鉄幹の『東西南北』が出たころ、露伴の「雲の袖」、紅葉の「多情多恨」、柳浪の「今戸心中」あたりが書かれた頃に当るはずである。東京に鉄道馬車がはじめて出来て、浅草観音の境内には砂がき婆さんのいたころである。
「三筋町界隈」斎藤茂吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
そうすると浴場には皆女ばかりいる。年寄りもいるけれども、綺麗な娘が沢山にいる。私は故知らず胸の躍るような気持になったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかも知れない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことが分かり、女中は母に叱られて私は二たび女湯に入ることが出来ずにしまった。私はただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。
「三筋町界隈」斎藤茂吉(青空文庫)
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