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念珠集(斎藤茂吉)のあらすじ・登場人物

父の思い出を珠のように

斎藤茂吉 1925年(大正14年)11月 「改造」

文字数
22,025字
読了目安
約44分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

斎藤茂吉の随筆集。ドイツのミュンヘンで留学中だった茂吉は、大正12年(1923)7月末に故郷の山形県金瓶村で父が亡くなったことを知り、少年のころの父の思い出が哀調を帯びて浮かんでくるのを書きとめようとした。念珠の珠が一つずつつながるように、そうした思い出を重ねるという題名の意図が、冒頭の「八十吉」で述べられている。八十吉は、父の師匠の孫で、一つ年上の遊び相手だった少年で、東北の山村の暮らしや村人のことばが、詩人らしい細かな観察で書かれている。

あらすじ

ミュンヘンで留学生活を送っていた大正十二年の夏、斎藤茂吉のもとに、故郷の山形県金瓶村で父が畑仕事のさなかに倒れて世を去ったという報せが届く。父を亡くした寂しさのなかで、茂吉の脳裏には少年時代の想い出が、一種の哀調を帯びて次々と浮かび上がってくる。それを念珠の珠の一つ一つのように書きとどめたのが本書である。父の『お師匠様』の孫で、明治二十五年の夏に村はずれの川の淵で溺れ死んだ幼馴染の八十吉。厳格でありながら旅を好んだ父。金瓶村の自然や年中行事、そして父が遺した几帳面な旅日記――。歌人ならではの澄んだ抒情と観察の眼で、失われた幼き日の情景と亡き父への追慕がしみじみと綴られてゆく、茂吉の代表的随筆集である。

冒頭部(原文より)

僕は維也納の教室を引上げ、笈を負うて二たび目差すバヴアリアの首府民顕に行つた。そこで何や彼や未だ苦労の多かつたときに、故郷の山形県金瓶村で僕の父が歿した。真夏の暑い日ざかりに畑の雑草を取つてゐて、それから発熱してつひに歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。  僕は父の歿したことを知つてひどく寂しくおもつた。そして昼のうちも床のうへに仰向に寝たりすると、僕の少年のころの父の想出が一種の哀調を帯びて幾つも意識のうへに浮上つてくるのを常とした。或る時はそれを書きとどめておきたいなどと思つたこともあつて、ここに記入する『八十吉』の話も父に関するその想出の一つである。かういふ想出は、例へば念珠の珠の一つ一つのやうにはならぬものであらうか。

「念珠集」斎藤茂吉(青空文庫)

末尾部(原文より)

父も、その時は既に六十四五歳になつて居り、四十歳ごろから腰が屈つて、西国の旅に出るあたりは板に紙を張りそれを腹に当てて歩いてゐた。さうすれば幾分腰が延びていいなどと云つてゐたのだから、高野の旅なども矢張り難儀であつたらうと僕はおもふ。そして、僕らが食べたやうな、汁の中にしよんぼりと入つた饅頭を父も食べたのだらうとおもふと、何だか不思議な心持にもなるのであつた。これを「念珠集」の跋とする。

「念珠集」斎藤茂吉(青空文庫)

名文

かういふ想出は、例へば念珠の珠の一つ一つのやうにはならぬものであらうか。

留学先で父の訃報を受けた茂吉が、少年時代の父の思い出を書きとめようと思い立つくだり。書名『念珠集』の由来を語る一文である。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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