子規と野球(斎藤茂吉)のあらすじ・登場人物
歌人が見たベースボール
- 文字数
- 1,252字
- 読了目安
- 約3分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
斎藤茂吉が、正岡子規とベースボールの関わりを語った短い随筆。子規が野球用語を日本語に訳した工夫や、野球を詠んだ短歌を紹介する。東北の農村にベースボールが伝わった自分の少年時代の記憶も添えられる。
あらすじ
七つのとき村の小学校に入ったのは明治二十一年で、そのころ兄が町の小学校からベースボールを農村に伝え、子どもの間に一時流行したことがあった。しかし百姓の子には閑がなく、流行しなかった。正岡子規が第一高等中学でベースボールをしたのは明治二十二年頃で、随筆『松羅玉液』で野球を論じたのは明治二十九年である。その文章には、本基(ホームベース)、除外(アウト)、立往生(スタンディング)といった訳語が見られ、今に名残をとどめるものもある。子規の歌「今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな」は満塁の様子を歌ったものだと紹介される。
冒頭部(原文より)
私は七つのとき村の小学校に入つたが、それは明治廿一年であつた。丁度そのころ、私の兄が町の小学校からベースボールといふものを農村に伝へ、童幼の仲間に一時小流行をしたことがあつた。東北地方の村の百姓は、さういふ閑をも作らず、従つて百姓間にはベースボールは流行せずにしまつた。
「子規と野球」斎藤茂吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
『打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に』の結句『人の手の中に』はベースボール技術を写生したのであつた。『今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな』は、ベースといふ字をそのまま使つてをり、満基(フルベース)の状態を歌つたもので、人をはらはらさせる状態を歌つてゐる。一小和歌といへども、ベースボールの歴史を顧れば感慨無量のものとなる。
「子規と野球」斎藤茂吉(青空文庫)
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