つゆじも(斎藤茂吉)のあらすじ・登場人物
長崎の日々に置く、露と霜
- 文字数
- 26,808字
- 読了目安
- 約54分
- 表記
- 新字旧仮名
- 舞台
- 長崎県
この作品について
斎藤茂吉の第四歌集。長崎医学専門学校教授として赴任していた大正七年から十年までの作、七百六首を収める。故郷を遠く離れた異郷の地での孤独、あいついで世を去る友への哀傷、長崎の石畳や甍、浦上の谷にみちる蛙の声といった風土の写生が、静かな諦念のうちに重ねられていく。歌集の名は、長崎晩期の心にかようものとして選ばれ、万葉集にいう「露霜」——消えやすくはかないものの意を含む。編纂は昭和十五年、刊行は戦後の昭和二十一年であった。
あらすじ
「わが住める家のいらかの白霜を見ずて行かむ日近づきにけり」——東京を離れて長崎へ赴く前夜の送別歌会に始まり、歌集は異郷での起臥をひたすらに写していく。移り住んだ家の畳のにおい、据風呂を買いに出ては買わずに帰る夜、東京に残してきた幼子への思い、聖福寺の鐘、浦上村の蛙、電灯に群れて羽を落とす羽蟻。日常の些事のひとつひとつが、そのまま寂しさの器となる。やがて陸奥の友の訃報が届き、「われつひに和に生きざらむとおもへども何にこのごろ友つぎつぎに死す」と詠む。長崎歌会の連作、旅の歌、そしてスペイン風邪の流行に怯えて独り床につく夜。異郷にあって自らの生を見つめ続けた四年の歳月が、抑えた調べのうちに積み重ねられ、巻末の長い後記が、帰朝後の火災で資料を失った経緯と、この一巻の成り立ちを静かに語る。
冒頭部(原文より)
斎藤茂吉送別歌会 大正六年十二月二十五日東京青山茂吉宅に於て わが住める家のいらかの白霜を見ずて行かむ日近づきにけり 長崎著任後折にふれたる うつり来しいへの畳のにほひさへ心がなしく起臥しにけり 据風呂を買ひに行きつつこよひまた買はず帰り来て寂しく眠る 東京にのこし来しをさなごの茂太もおほきくなりにつらむか
「つゆじも」斎藤茂吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
大正七年は自分の三十七歳の年に当るから、本集の歌は殆どすべて三十七歳から四十歳に至るあひだに作つたものといふことになる。また、本集の歌数は、本文中に六百九十七首、後記中に九首あるから、合算すれば七百六首といふことになる。(以上昭和二十年九月記) 本歌集の発行は岩波茂雄、布川角左衛門、佐藤佐太郎、中山武雄、榎本順行諸氏の厚き御世話になりました。私は三月から病気になり今なほ臥床中でありますが、その間岩波茂雄氏の急逝にあひ、悲歎限りありません。(昭和二十一年五月廿九日、大石田にて、斎藤茂吉記。)
「つゆじも」斎藤茂吉(青空文庫)
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