万葉秀歌(斎藤茂吉)のあらすじ・登場人物
茂吉が選ぶ万葉の秀歌
- 文字数
- 213,064字
- 読了目安
- 約7時間6分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
斎藤茂吉が『万葉集』の短歌から秀歌を選び、一首ずつ評釈を添えた入門書。1938年(昭和13)、創刊期の岩波新書として上下2冊で刊行された。序によれば、約4200首の短歌のおよそ一割を選び、長歌は除いた。主眼はあくまで歌で、評釈は鑑賞の助けにすぎないとし、読者が自分で三百首選や百首選を作れるだけの余裕を残したと説明している。巻ごとに作品を拾っていく構成で、歌人としての茂吉の視点から、歌の調べや言葉のはたらきに触れる。
あらすじ
「万葉集は我国の大切な歌集で、誰でも読んで好いものとおもう」――そう説き起こす斎藤茂吉が、膨大な万葉集の海から、国民が是非知っておくべき秀歌を巻ごとに選び抜き、およそ全体の一割にあたる短歌に一首一首の評釈を加えてゆく。額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大伴家持ら万葉歌人たちの名歌を、いわゆる「万葉精神」や国民性といった大づかみな論からは離れ、一助詞・一動詞のはたらき、第三句や結句の調べといった具体に即して読み解く。歌が主で注釈は従、というのが茂吉の一貫した態度で、読者にはまず歌そのものを繰り返し熟読することが求められる。巻頭の「たまきはる宇智の大野に馬なめて」に始まり、巻末の家持「あらたしき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」に至るまで、初期万葉の張りつめた調べと後期の洗練とを対比しながら、万葉集の魅力を平明に語りつくす。歌人にして精神科医でもあった茂吉ならではの、簡にして要を得た鑑賞の書である。
冒頭部(原文より)
万葉集は我国の大切な歌集で、誰でも読んで好いものとおもうが、何せよ歌の数が四千五百有余もあり、一々注釈書に当ってそれを読破しようというのは並大抵のことではない。そこで選集を作って歌に親しむということも一つの方法だから本書はその方法を採った。選ぶ態度は大体すぐれた歌を巻毎に拾うこととし、数は先ず全体の一割ぐらいの見込で、長歌は罷めて短歌だけにしたから、万葉の短歌が四千二百足らずあるとして大体一割ぐらい選んだことになろうか。 本書はそのような標準にしたが、これは国民全般が万葉集の短歌として是非知って居らねばならぬものを出来るだけ選んだためであって、万人向きという意図はおのずから其処に実行せられているわけである。ゆえに専門家的に漸く標準を高めて行き、読者諸氏は本書から自由に三百首選二百首選一百首選乃至五十首選をも作ることが出来る。それだけの余裕を私は本書のなかに保留して置いた。
「万葉秀歌」斎藤茂吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
万葉後期の歌はかくの如くであるが、若しこれを古今集以後の幾万の歌に較べるならば、これはまた徹頭徹尾較べものにはならない。それほど万葉集の歌は佳いものである。家持のこの歌は万葉集最後のものだが、代匠記に、「抑此集、初ニ雄略舒明両帝ノ民ヲ恵マセ給ヒ、世ノ治マレル事ヲ悦ビ思召ス御歌ヨリ次第ニ載テ、今ノ歌ヲ以テ一部ヲ祝ヒテ終ヘタレバ、玉匣フタミ相称ヘル験アリテ、蔵ス所世ヲ経テ失サルカナ」と云っている。
「万葉秀歌」斎藤茂吉(青空文庫)
名文
要は繰返して読み一首一首を大切に取扱って、早読して以て軽々しく取扱われないことを望むのである。
斎藤茂吉『万葉秀歌』の序の一節。選んだ歌を急いで読み流さず、一首ずつ繰り返し味わってほしいという、歌人らしい願いが込められている。
万葉集の傑作といい秀歌と称するものも、地を洗って見れば決して魔法のごとく不可思議なものでなく、素直で当り前な作歌の常道を踏んでいるのに他ならぬという、その最も積極的な例を示すためにいきおいそういう細かしきことになったのである。
同じく序より。助詞一つ、句一つにこだわる評釈の理由を説き、秀歌も作歌の常道の上にあるという茂吉の歌論を示す。
原文を読む
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