与謝野晶子の生涯と代表作
やは肌の革命
- 生没
- 1878–1942
- 出身
- 大阪府
- 文学史
- 浪漫主義
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1878年(明治11年)、大阪府堺市堺区の老舗和菓子店に三女として生まれる。少女期より兄の蔵書に親しんで文学に目覚め、地元の歌会に参加するうち、雑誌「明星」を主宰する歌人・与謝野鉄幹と出会い恋に落ちる。1901年(明治34年)、鉄幹を追って上京すると同時に第一歌集「みだれ髪」を刊行し、女性の情熱と官能を大胆に歌い上げてロマン主義文学の中心的存在となった。同年鉄幹と結婚し、12人の子をもうけながら旺盛な創作活動を続けた。1904年(明治37年)、日露戦争に出征した弟を思って発表した「君死にたまふことなかれ」は、反戦の詩として賛否両論を呼んだ。少女時代から親しんだ「源氏物語」は生涯に三度現代語訳に取り組み、最後の「新新訳源氏物語」は1938年から1939年にかけて刊行された。詩歌に加えて女性の権利や教育を論じる評論を多く書き、1921年(大正10年)には夫とともに男女共学の文化学院を創設した。1942年(昭和17年)、63歳で死去した。
収録作品
- みだれ髪 1901年(明治34年)8月
- 恋衣 1905年(明治38年)1月
- 舞姫 1906年(明治39年)1月
- 産屋物語 1909年(明治42年)3月
- そぞろごと 1911年(明治44年)9月
- 貞操は道徳以上に尊貴である 1915年(大正4年)
- 母性偏重を排す 1916年(大正5年)2月
- 平塚さんと私の論争 1918年(大正7年)6月
- 婦人も参政権を要求す 1919年(大正8年)3月
- 「女らしさ」とは何か 1921年(大正10年)2月
- 晶子詩篇全集 1929年(昭和4年)
翻訳・現代語訳
- 源氏物語 1008年