母性偏重を排す(与謝野晶子)のあらすじ・登場人物
母である前に一人の人間
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- 8,465字
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- 約17分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
与謝野晶子が、女性の使命を母であることに限る説を批判した評論。トルストイとエレン・ケイの母性論を踏まえ、女性は母であるだけでなく、一人の人間として生きるべきだと説く。後の母性保護論争につながる、晶子の思想の核を示す。
あらすじ
トルストイは、女は自分の使命として労働に適した子供をできるだけ多く生み、育て、教育することに身を捧げるべきだと教え、エレン・ケイも、女の生活の中心要素は母となることだと説く。しかしトルストイが男の労働を助ける女の力を貴いとするのに対し、ケイは女が男と共に労働することを天賦の制限を越えた権利の濫用として排斥する。筆者はこうした母性中心説を検討し、女性を母性に偏って見ることの不自然さを批判する。旧式な賢母良妻主義に母性中心説を加味して、人口の増殖を奨励するような軽佻な流行は避けたいと結ぶ。末尾に一九一六年二月とある。
冒頭部(原文より)
トルストイ翁に従えば、女は自身の上に必然に置かれている使命、即ち労働に適した子供を出来るだけ沢山生んでこれを哺育しかつ教育することの天賦の使命に自己を捧げねばならぬと教えられ、またエレン・ケイ女史に従っても女の生活の中心要素は母となることであると説かれる。そうしてトルストイ翁では男の労働に対してする余力ある女の助力が非常に貴いものであるとして許容せられるに反し、ケイ女史では女が男と共にする労働を女自身の天賦の制限を越えた権利の濫用だとして排斥せられる相異がある。またトルストイ翁では男女の生活の形式は異っていても一般の天賦においては全く平等であると見られるのに反し、ケイ女史では自然が不平等に作った男女の生活を人間が平等にしようとするのは放縦であると見られる相異がある。しかし体的労働と心的労働が男に属する天賦の使命であって、女にはそれが第二義の事件であるという思想は二家共に一致している。
「母性偏重を排す」与謝野晶子(青空文庫)
末尾部(原文より)
我国の婦人の大多数は盛に子供を生んで毎年六、七十万ずつの人口を増している。あるいは国力に比べて増し過ぎるという議論さえある。私たちはむしろこの多産の事実について厳粛に反省せねばならない時に臨んでいる。旧式な賢母良妻主義に人間の活動を束縛する不自然な母性中心説を加味してこの上人口の増殖を奨励するような軽佻な流行を見ないようにしたいものである。(一九一六年二月) (『太陽』一九一六年二月)
「母性偏重を排す」与謝野晶子(青空文庫)
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