貞操は道徳以上に尊貴である(与謝野晶子)のあらすじ・登場人物
貞操を道徳以上のものとして
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- 5,408字
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- 約11分
- 表記
- 旧字旧仮名
この作品について
与謝野晶子が、貞操を単なる道徳として強要する議論に異を唱えた評論。貞操論争の一篇で、貞操は尊重すべきだからこそ、道徳の名で押しつけず、自覚的な愛情の問題として考えるべきだと論じた。
あらすじ
筆者は、貞操を最も尊重し、最も確実堅固な基礎の上に据えたいために、この一文を書くと述べる。今年は貞操が問題となり、女子の貞操だけでなく男子の貞操まで論じられるようになった。識者がこうした問題に真面目な反省を向けるようになったことは喜ばしいが、貞操を単に道徳として維持していくことの可否は容易に決めがたい宿題だという。新しい解釈を加えず、昔のままに道徳として強要しようとする議論が多いのは宜しくないと批判する。筆者は貞操道徳に対して多くの疑惑を感じており、それが解決されてからでなければ、貞操を道徳の名の下に実践させることには満足できないと結ぶ。
冒頭部(原文より)
私は貞操を最も尊重し、貞操を最も確實堅固な基礎の上に据ゑたいために此一文を書きます。 今年は貞操と云ふことが問題になつて、女子の貞操ばかりでなく、男子の貞操と云ふやうなことまでが論ぜられるやうになりました。識者階級が斯う云ふ問題に眞面目な反省を取るに到つたことは勿論喜ばねばなりませんが、貞操を單に道徳として維持して行かうとすることの可否は容易に決定し難い宿題です。まだまだ之から討議を重ねて愼重に決定すべき事柄です。然るに何の新しい解釋も加へないで、之を昔の儘に道徳として強要しようとする態度の議論が多いのは甚だ宜しくないと思ひます。私達は貞操道徳に對して最も眞面目に幾多の疑惑を感じて居ます。
「貞操は道徳以上に尊貴である」与謝野晶子(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は曩に「太陽」誌上で、私の貞操は道徳でない、私の貞操は趣味である、信仰である、潔癖であると云ふ意味のことを述べました。趣味や信仰や潔癖は他に強要すべき性質のものでありません。さうして私が私の貞操を絶對に愛重して居るのは藝術の美を愛し學問の眞を愛するやうに道徳以上の高く美くしい或物――假りに趣味とも信仰とも名づくべきものだと思つて居ます。若し貞操を道徳と云ふ名の下に實踐しようとするには、前述の疑惑を解決して何人に強要しても矛盾の無いことが徹底的に明白になつた上でなければ私は十分に滿足が出來ません。重ねて申します、私は貞操を尊重することを何人にも讓らないために敢て此一文を書きました。(一九一五年十一月)
「貞操は道徳以上に尊貴である」与謝野晶子(青空文庫)
原文を読む
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