晶子詩篇全集(与謝野晶子)のあらすじ・登場人物
歌人・晶子のもう一つの声
- 文字数
- 76,015字
- 読了目安
- 約2時間32分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
「みだれ髪」の歌人・与謝野晶子が、明治三十三年から昭和初年までに書きためた詩の草稿から四百二十一篇を自ら選んだ詩集。母として、働く女として、社会を見つめる者としての晶子が、短歌とはまた別の声で歌う。自序に記された「わたくしと云ふ素人の手作り」という言葉のとおり、飾らない生活の記録としての詩がならぶ。
あらすじ
自序は、薔薇を贈りつづけてくれた美濃部民子夫人への献辞として書かれている。今年の秋のはじめ、少しの暇を得て明治三十三年から最近までの詩の草稿を整理し、そのなかから四百二十一篇を選んでこの一冊にまとめた——他日、自分の子どもたちが何かの底から見つけ出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかもしれない、というくらいの気持ちだった、と晶子は書く。収められた詩篇は、制作年代が自分でも分からなくなったものが多いため、似た心情のものごとに類聚して編まれている。母としての愛と疲れ、多くの子を育てる暮らしの実感、パリへ旅立つ夫を思う心、女性の自立への願い、そして社会や時代への鋭い視線——短歌では言い尽くせなかった思いが、口語の自由な詩形でうたわれる。「上野の鐘が鳴る」に始まる「三時の鐘」では、鐘の音を聞くと日本人の心はみな静まり、自力を麻痺して他力の信徒に変わってしまうと書き、その血の弱さに滅入る自分を見つめる。「或日の寂しさ」では、うその苦学生、うその紳士、うその裁判、うその教育と世相を並べて、「ついぞ真に行き遇はぬ」と嘆いた。最後は御大典の年の十一月一日に校正を終えたという一文で結ばれている。
冒頭部(原文より)
美濃部民子夫人に献ず 自序 美濃部民子様 わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐましたのですが
「晶子詩篇全集」与謝野晶子(青空文庫)
末尾部(原文より)
或日の寂しさ 門に立つのは うその苦学生、 うその廃兵、 うその主義者、志士、 馬車、自動車に乗るのは うその紳士、大臣、 うその貴婦人、レディイ、 それから、新聞を見れば うその裁判、 うその結婚、 さうして、うその教育。 浮世小路は繁けれど、 ついぞ真に行き遇はぬ。
「晶子詩篇全集」与謝野晶子(青空文庫)
名文
ああ、弟よ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ。 末に生れし君なれば 親のなさけは勝りしも、 親は刄をにぎらせて 人を殺せと教へしや、 人を殺して死ねよとて 廿四までを育てしや。
日露戦争の旅順に出征した弟へ呼びかけた詩の第一連。「人を殺せと教へしや」と問いを立て、時勢に抗した名高い一篇。
山の動く日きたる、 かく云へど、人これを信ぜじ。 山はしばらく眠りしのみ、 その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。 されど、そは信ぜずともよし、 人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、 すべて眠りし女、 今ぞ目覚めて動くなる。
1911年、平塚らいてうらが創刊した雑誌「青鞜」の創刊号に寄せた連作詩「そぞろごと」の冒頭部分。眠っていた女性たちが目覚めて動き出す日を山にたとえ、女性解放の宣言として今も引かれる。
一人称にてのみ物書かばや、 我は寂しき片隅の女ぞ。 一人称にてのみ物書かばや、 我は、我は。
「山の動く日」に続く連作詩「そぞろごと」の一篇。一人称でのみ書きたいという願いに、自分の言葉で自分を語ろうとする女性の自立の意志が表れている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。