石川啄木の生涯と代表作
三行で人生を
- 生没
- 1886–1912
- 出身
- 岩手県
- 文学史
- 浪漫主義
- 自然主義
- Wikipedia
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略歴
1886年(明治19年)、岩手県南岩手郡日戸村(現・盛岡市)の寺の長男に生まれる。まもなく一家は渋民村の宝徳寺に移り、そこが生涯歌い続ける「ふるさと」となった。盛岡中学在学中に与謝野鉄幹・晶子の「明星」に傾倒して新詩社に参加、浪漫派の詩人として出発し、1905年(明治38年)には詩集「あこがれ」を刊行した。中学を中退して代用教員や新聞記者を務めるが定まらず、1907年(明治40年)に北海道へ渡り、函館・札幌・小樽を経て翌年釧路に移った。1908年に上京し、翌年東京朝日新聞の校正係の職を得て困窮の中で創作を続け、1910年(明治43年)、生活の実感を平明な口語調と三行分かち書きの新形式で歌った第一歌集「一握の砂」を刊行して歌人としての名声を確立した。同年の大逆事件に衝撃を受け社会主義への関心を深めるが、持病の結核が悪化。長男真一を生後間もなく失い、母も亡くした翌1912年(明治45年)4月13日、26歳で死去した。第二歌集「悲しき玩具」は同年6月、没後に刊行された。歌だけでなく詩や小説、評論、日記も残し、生活の苦しさや社会への疑問を幅広い形式で表現した。