石川啄木の名文

石川啄木の作品から、よく知られた一節を集めました。

17件

呼子と口笛

われらの且つ読み、且つ議論を闘はすこと、 しかしてわれらの眼の輝けること、 五十年前の露西亜の青年に劣らず。 われらは何を為すべきかを議論す。 されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 ‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

石川啄木「はてしなき議論の後」(1911年)の第一連。大逆事件の後、議論ばかりで「民衆の中へ」と踏み出す者のいない青年たちを見つめる。各連の終わりに繰り返される一行が、焦燥と自嘲を響かせる。

弓町より

詩は所謂詩であつては可けない。人間の感情生活(もつと適当な言葉もあらうと思ふが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。

石川啄木『弓町より』(副題「食ふべき詩」、1909年)より。詩は飾った「詩」であってはならず、日々の感情の正直な日記であるべきだと説く。のちの『一握の砂』の生活に根ざした歌につながる、啄木の詩論の中心。

一握の砂

はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

三行書きの歌の代表作。働いても働いても楽にならない暮らしを、手のひらを見つめるという一つの所作だけで言い切る。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

歌集の巻頭に置かれた一首。孤独と感傷を、砂浜で蟹と戯れるという小さな情景に託した啄木の代表歌。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

「我を愛する歌」の一首。友と自分を比べて沈む心が、花を買い、妻と過ごす小さな時間へ向かう。劣等感と暮らしのぬくもりを三行に収めた歌。

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

「煙」の一首。旅立つためではなく、故郷の言葉を聴くために駅へ向かう。人ごみの中で耳を澄ます姿に、都会で暮らす者の望郷がにじむ。

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず

冗談で母を背負った瞬間、その軽さに老いと苦労を知って涙する歌。日常の一場面に、母への深い情と悔いを凝縮した啄木の代表作の一つ。

いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ

歌集の題「一握の砂」のもととなった一首。握っても指の間からこぼれ落ちる砂に、つかみどころのない命のはかなさを重ねる。

不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心

盛岡中学時代、授業を抜け出して盛岡城跡の草に寝ころんだ日を詠む歌。青空に吸い込まれるような十五歳の心の広がりを、鮮やかにとらえる。

石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし

故郷の渋民村を追われるように去った体験を詠む歌。石を投げられて追われるかのようだった別れの痛みが、いつまでも消えないと歌う。

やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに

東京で故郷を思う歌。やわらかに芽吹く北上川の岸の柳が、泣けと言わんばかりに目に浮かぶと詠み、募る望郷の念をうたう。

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

故郷の山を前にした心を詠む歌。言葉にならない感謝と懐かしさを「ありがたきかな」の一語に託した、素朴で力強い一首。

函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花

「忘れがたき人人」の一首。函館で過ごした日々と、友の恋の歌、矢車草の花とを重ねて、二度と戻らない青春の場所を悲しく懐かしむ。

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと

「我を愛する歌」の一首。自分に頭を下げさせた人はみな死ねと祈った——貧窮と屈辱の日々に抱いた激しい憎しみを、隠さず歌にした告白の一首。

悲しき玩具

呼吸すれば、 胸の中にて鳴る音あり。  凩よりもさびしきその音!

死の前年まで書き継がれた第二歌集の巻頭歌。肺を病んだ胸の中の音に耳を澄ます、痛切な自己観察。

何となく、 今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。

元日の朝の晴れやかな気分を詠んだ歌。病と貧しさに苦しんだ晩年の啄木が、つかの間の希望を平明な言葉で書きとめている。

時代閉塞の現状

我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。

大逆事件の検挙が続く1910年に書かれ、生前は発表されなかった評論の一節。強権に閉ざされた時代の息苦しさを「空気」の停滞として言い表し、青年たちに時代への自覚を促した。

この作家について

石川啄木