時代閉塞の現状(石川啄木)のあらすじ・登場人物
強権に閉ざされた時代を撃つ
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- 9,915字
- 読了目安
- 約20分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
石川啄木が1910年(明治43年)8月に執筆した評論。副題「強権、純粋自然主義の最後および明日の考察」。魚住折蘆の論文への反論として東京朝日新聞のために書かれたが生前は掲載されず、啄木の没後、1913年(大正2年)に発表された。国家という「強権」が個人の前に立ちふさがる時代の閉塞を鋭く分析し、自然主義がその使命を終えたのちに、青年が空想を捨てて「今日」を厳密に研究し、そこから「明日の必要」を見いだすべきことを説く。大逆事件に衝撃を受けた啄木の思想的到達を示す、近代文学史上重要な評論である。
あらすじ
啄木はまず、魚住折蘆の論文「自己主張の思想としての自然主義」を手がかりに、「自然主義」という語のもとに、自己主張的な傾向と、科学的・運命論的・自己否定的な傾向(純粋自然主義)という相矛盾する二つの流れが未整理のまま混在してきたことを指摘する。その純粋自然主義も、現実をありのままに写す観照の態度に行き着いて、すでに理論的な使命を終えた。にもかかわらず青年たちは思想の中心を失い、自己分裂の悲劇のただなかにある。啄木は、この行き詰まりの根に、国家という「強権」が個人のあらゆる可能性の前に立ちふさがっている「時代の閉塞」を見てとる。そこから抜け出す道は、「善」や「美」への空想にあるのではない。いっさいの空想を峻拒して、ただ一つ残る真実――「必要」を、最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究することによって発見しなければならない。「必要は最も確実なる理想である」。そして、時代に埋没した文学もまた、青年の心が「明日」をとらえたとき、はじめて「今日」への最も適切な批評として目を覚ますだろう――と結ぶ。大逆事件に衝撃を受け、社会主義へと関心を深めた啄木の思想的到達を示す、文学史上名高い評論である。
冒頭部(原文より)
数日前本欄(東京朝日新聞の文芸欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索的生活の半面――閑却されている半面を比較的明瞭に指摘した点において、注意に値するものであった。
「時代閉塞の現状」石川啄木(青空文庫)
末尾部(原文より)
文学――かの自然主義運動の前半、彼らの「真実」の発見と承認とが、「批評」として刺戟をもっていた時代が過ぎて以来、ようやくただの記述、ただの説話に傾いてきている文学も、かくてまたその眠れる精神が目を覚してくるのではあるまいか。なぜなれば、我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時「今日」のいっさいが初めて最も適切なる批評を享くるからである。時代に没頭していては時代を批評することができない。私の文学に求むるところは批評である。
「時代閉塞の現状」石川啄木(青空文庫)
名文
我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。
大逆事件の検挙が続く1910年に書かれ、生前は発表されなかった評論の一節。強権に閉ざされた時代の息苦しさを「空気」の停滞として言い表し、青年たちに時代への自覚を促した。
原文を読む
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