小倉色紙とは
- 分類
- その他
- 読み
- おぐらしきし
藤原定家が『小倉百人一首』の歌を一首ずつ書いたと伝える色紙。小倉山荘色紙ともいう。定家の日記『明月記』の文暦2年(1235年)5月27日の条には、息子為家の妻の父にあたる宇都宮頼綱(蓮生)に頼まれ、嵯峨中院の山荘の障子に貼る色紙形に、天智天皇から藤原家隆・飛鳥井雅経に至る歌人の歌を書いて送ったという記事があり、これが小倉色紙の由来と考えられている。このとき定家は数えで74歳であった。ただし、この記事が今日の百人一首そのものを指すのか、その草稿とされる『百人秀歌』を指すのかについては説が分かれる。色紙はもと100枚あったとみられるが、のちに散逸した。定家の書は独特の書風で名筆として尊ばれ、戦国時代には茶人の武野紹鷗が小倉色紙を茶席の掛物に用いたと伝えられて、以後、茶の湯の世界で珍重された。それにつれて高値で取り引きされ、写しや偽物も数多く作られた。現存する色紙には後世の筆も含まれるとみられ、成立や真筆かどうかについては今も研究が続いている。