愛と認識との出発(倉田百三)のあらすじ・登場人物
後れて来たる青年へ
- 文字数
- 188,876字
- 読了目安
- 約6時間18分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
第一高等学校在学中の二十一歳から二十代の終わりまでに書きためた感想と論文を、ほぼ全部おさめた評論集。1921年(大正10年)に岩波書店から刊行され、「出家とその弟子」とならぶ倉田百三の代表作となった。西田幾多郎「善の研究」に導かれた「生命の認識的努力」、恋愛と性欲の意味を正面から問う「異性の内に自己を見いださんとする心」、キリスト教的な愛を論じる「隣人としての愛」など、真理・友情・恋愛・信仰といった青年の根本問題が並ぶ。旧制高校生から戦後の学生まで読み継がれ、大正教養主義を代表する一冊として知られる。
あらすじ
巻頭の「憧憬――三之助の手紙――」は、真理を「まだ見ぬ恋人」にたとえて哲学への憧れを友に書き送る、二十一歳の手紙体の一篇。つづく「生命の認識的努力」では、西田幾多郎「善の研究」に深く導かれながら、生きることと知ることはいかにして一つになりうるかが問われる。「異性の内に自己を見いださんとする心」は、恋愛と性欲とを切り離さずに見つめ、異性への渇望の底に自己の完成を求める心があると説いて、当時の青年に大きな衝撃を与えた。「恋を失うた者の歩む道」で失恋の痛みをくぐり抜けたのち、論は「隣人としての愛」「愛の二つの機能」へと進み、著者は意識して学術的な用語を捨て、そのまま「こころ」に届く言葉を選ぶようになる。「善くなろうとする祈り」「本道と外道」「地上の男女」では、甘え・皮肉・純潔といった具体的な心の持ち方が一つずつ吟味され、末尾の「千手観音の画像を見て」では、限りある人身のままでどこまで隣人に仕えうるかという問いが、祈りへと収れんしていく。
冒頭部(原文より)
この書を後れて来たる青年に贈る 兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。 ――ヨハネ第一書第二章より―― 版を改むるに際して この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
「愛と認識との出発」倉田百三(青空文庫)
末尾部(原文より)
その意味において、人間の奉仕はついにいのりとならなくてはならないと思われる。神の名によって祝福を人類の上に招き寄せ、あるいは親鸞の「急ぎ仏となりて心のままに衆生を助けとりたし」という気持ちとならないではいられない気がする。自分は千手千眼観自在菩薩の画像を眺めて、自分がいつも感じているこれらの想念を新しく刺激されたのである。そして微妙の身体を有するこの瓔珞を戴ける像の前に跪かないではいられない気がする。そして人身の悲哀と彼岸の思慕とを感ぜずにはいられない。自分は自分の芸術を励み信心を深めることによって、せめてこの隣人への直接の奉仕の懈怠をつぐのわしていただきたいと念ずる者である。 (一九二〇・一二・一五 於大森)
「愛と認識との出発」倉田百三(青空文庫)
名文
自分はかつて人間の愛を求めた。燃ゆるがごとき情熱と、喘ぐがごとき渇望とをもって、否あるときはむしろ乞食のごとき嘆願をさえもって! 友情と恋愛とはその頃の自分の生活の最も重要なる題目であり、最も奥底のいのちであり、また最も内部に燃えている火であった。
倉田百三の評論集『愛と認識との出発』の一節。友情と恋愛に生のすべてを賭けた若き日を、激しい言葉で振り返る。
原文を読む
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