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『出家とその弟子』の追憶(倉田百三)のあらすじ・登場人物

青春時代の記念塔

倉田百三 1937年(昭和12年)1月 「劇場」

文字数
1,940字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

代表作を書いてから二十年後、四十代なかばの倉田百三が雑誌「劇場」に寄せた短い回想。「この戯曲は私の青春時代の記念塔だ」と書き起こし、二十三歳で一高を退いて病を養いながら、殉情と思索の日々のすえに二十七歳であの作を書いたことを振り返る。有楽座での初演や帝劇の舞台、岡田嘉子がかえでを演じたことなど上演史の証言でもあり、また「甘いことはたしかに甘い」と自作を評しつつ、いつまでも同じ作ばかりを求められることへの苛立ちも率直に書きつけられている。名作の作者自身による、飾らない自作解説。

あらすじ

倉田は自分の青春を「たしかに純熱であった」と言い、悔いはないと書く。二十三歳で第一高等学校を退き、病を養いながら海へ山へ郷里へと転地を重ね、その果てに二十七歳で「出家とその弟子」を書いた。そこには青春の悩みと憧憬と宗教的情操がいっぱいに盛られている。センチメンタルだという評もあるが、あの中には「運命に毀たれぬ確かなもの」を求める強い意志が貫いているのだ、と彼は言う。ただし当時は「世間」を知らなかったから甘いところは確かに甘い。世の人があの作を好むのは、世間にもまれて失った純情を読むあいだだけ取り戻せるからではないか——そう自問しつつ、自分の精進はむしろ現実を知る方向に進み、戯曲「恥以上」に至ったのだと語る。後半は舞台と映画の話になる。初演は有楽座、村田実の唯円、山田隆弥の唯円に岡田嘉子のかえで。入りは超満員だったが芝居としては成功とはいえず、作者は不平だらけだった。動きの少ない対話劇だから、むしろトーキー映画に向くはずだと彼は考えている。そして最後に、いつまでも同じような作を注文されるのは有難迷惑だと言い切る。

冒頭部(原文より)

 この戯曲は私の青春時代の記念塔だ。いろいろの意味で思い出がいっぱいまつわっている。私はやりたいと思う仕事の志がとげられず、精力も野心も鬱積してる今日、青春の回顧にふけるようなことはあまりないが、よく質問されるので、この戯曲のことから青春を思いかえすことがある。  私の青春はたしかに純熱であった。私は悔いを感じない。人生に対し、真理に対し、恋愛に対し、私のうけたいのちと、おかれた環境とにおいては、充分に全力をあげて生きた気がする。  二十三歳で一高を退き、病いを養いつつ、海から、山へ、郷里へと転地したり入院したりしつつ、私は殉情と思索との月日を送った。そして二十七歳のときあの作を書いた。

「『出家とその弟子』の追憶」倉田百三(青空文庫)

末尾部(原文より)

 人間が読んで、殊に若い人たちが読んでいつまでも悪いことはない、きっとその心を素純にし、うるおわせ、まっすぐにものを追い求める感情を感染させるであろうと今でも私は思っている。  しかしいつまでも私に『出家とその弟子』のような作を書けと注文するのは無理だ。私はもっと塵にまみれて真理を追いつつある。世間にもまれ、現実を知り、ことに今日では貧苦の中に生きつつ国民運動もしている。しかし一生純情と理想主義とを失いたくない。 『出家とその弟子』を読んだ人は是非『恥以上』(改造社発行)を読んでいただきたい。私といえば『出家とその弟子』をいわれるのは私としては有難迷惑だ。私はひとつの境地から、他の境地へと絶えず精進しつつあるものだ。そしてその転身の節目節目には必ず大作を書いているのだ。愛読者というものはそれでなくては作者にとってたのみにはならない。 (「劇場」第二巻第一号所載、一九三六・一二・七)

「『出家とその弟子』の追憶」倉田百三(青空文庫)

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