我が一九二二年(佐藤春夫)のあらすじ・登場人物
「秋刀魚の歌」を含む詩の連作
- 文字数
- 3,546字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
佐藤春夫の詩集。1923年(大正12)2月に仕上げられた詩の連作で、「秋刀魚の歌」を含む。生田長江による序がつく。恋の悩みと孤独を、さんまを食べる夕餉の情景に託した「秋刀魚の歌」の初出は1921年11月の『人間』。ほかに「秋衣の歌」なども収める。
あらすじ
巻頭の序は生田長江が書き、春夫を「永久に詩人的なるもの」と呼び、「余りにも渾然たるが故に古典的時代錯誤」と評する。続いて「月をわび身を佗びつたなきをわびてわぶとこたへんとすれど問ふ人もなし」という芭蕉の尺牘の一節を掲げ、「秋刀魚の歌」に入る。「さんまを食ひて」「さんま、さんま」と、さんまを食べる情景が繰り返され、その風習が男の故郷のならいであると語られる。巻末は「我が一九二二年 畢」の語と、竜胆の花をめぐる詩句で閉じられる。
冒頭部(原文より)
序 私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい軽羅をのみ纏ふて今、彼一人の爽かな径を行つてゐる。 他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、より恥しくない子供だけを育て上げてゐる。彼のと異つた芸術を要求することは固より許されよう。彼のにまさつて完全なる(或は完全に近い)芸術といふものは、たやすく現代の世界に見出されないであらう。
「我が一九二二年」佐藤春夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
わが摘みしむらさきの花、 君が問ふままに その名を わがをしへたるりんだうの花、 そのかの秋山のよき花を 今は ただしばしば思ひ出でよとぞ わが頼むことは わりなき。 我が一九二二年 畢 (大正十二年二月)
「我が一九二二年」佐藤春夫(青空文庫)
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