予が半生の懺悔(二葉亭四迷)のあらすじ・登場人物
くたばって仕舞えと叫んだ半生
- 文字数
- 8,057字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1908年(明治41年)6月、雑誌『文章世界』に発表された二葉亭四迷の談話。文学上の経歴を問われた二葉亭が、それよりは思想の変遷を話そうと、自らの半生を「懺悔談」として語っている。ロシア語を学んだ動機、ロシア文学から受けた影響と社会主義への傾倒、『浮雲』の文体の手本や執筆時の葛藤、自分を罵った「くたばって仕舞え」に由来するという筆名の説明、哲学や心理学への関心、官報局から大陸行きを経て朝日新聞社入社に至る職業の変遷までが、くだけた話し言葉で語られる。筆名の由来の典拠としてもよく引かれる、二葉亭の文学観と人生観を知る資料。
あらすじ
二葉亭は、文学上の経歴より思想の変遷を話そうと前置きして語り始める。樺太千島交換をめぐって世論が沸くなか、維新の志士肌の憂国心から、ロシアこそ日本の大患になると考えて外国語学校の露語科に入った。そこで露文学史の授業を通じてロシアの代表作を読むうち文学熱が高まり、ロシアの作家が扱う社会問題への関心から社会主義に傾いた。官立の学校を嫌って飛び出し、親の世話にもならず自活しようとして書いたのが『浮雲』で、文章は上巻が式亭三馬らの戯作、中巻がドストエフスキー、下巻がゴンチャロフに多く学んだという。当時の彼は儒教とロシア文学から養った「正直」を理想としていたため、金のために小説を書き、坪内逍遥の名を借りて出版した自分を責め、「くたばって仕舞え」と自分を罵ったのが筆名二葉亭四迷の由来だと明かす。翻訳ではツルゲーネフの原文の形を移そうと、句読点や字数まで合わせる苦心をしたが、一方で文壇の覇権を取ろうという名誉心もあったと振り返る。やがて生活苦と「正直」の崩れから人生問題に苦しみ、哲学書や宗教書をあさり、自暴自棄の生活に落ちたが、快活な下層の女に出会ったことを機に、知識ではなく孔子のような「仁」の気象を養うことで人生を超越できるのではないかと考えた。その方法を心理学や生理心理学に求めたのち、自分自身を実験台にしようと実業や国際問題の方面に身を投じ、官報局、陸軍大学、海軍省、外国語学校を経て大陸へ渡った。奮闘のうちにこそ生きがいがあると感じるようになり、日露戦争を前に帰国して朝日新聞社に入り『其面影』や『平凡』を書いたが、今も文学者になりきったつもりはなく、大活動、大奮闘の野心を持っていると結ぶ。
冒頭部(原文より)
私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧そ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔談だね……いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。 そこでと、第一になぜ私が文学好きなぞになったかという問題だが、それには先ずロシア語を学んだいわれから話さねばならぬ。それはこうだ――何でも露国との間に、かの樺太千島交換事件という奴が起って、だいぶ世間がやかましくなってから後、『内外交際新誌』なんてのでは、盛んに敵愾心を鼓吹する。従って世間の輿論は沸騰するという時代があった。
「予が半生の懺悔」二葉亭四迷(青空文庫)
末尾部(原文より)
が、これは外面に現れた事実上の事だ。その心的方面を云うと、この無益な心的要素が何れ程まで修練を加えたらものになるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、この方面の活動だと、ピタッと人生にはまッて了って、苦痛は苦痛だが、それに堪えられんことは無い。一層奮闘する事が出来るようになるので、私は、奮闘さえすれば何となく生き甲斐があるような心持がするんだ。 明治三十六年の七月、日露戦争が始まると云うので私は日本に帰って、今の朝日新聞社に入社した。そして奉公として「其面影」や「平凡」なぞを書いて、大分また文壇に近付いては来たが、さりとて文学者に成り済ました気ではない。矢張り例の大活動、大奮闘の野心はある――今でもある。
「予が半生の懺悔」二葉亭四迷(青空文庫)
原文を読む
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