二葉亭四迷の生涯と代表作
話すように書いた
- 生没
- 1864–1909
- 出身
- 東京都
- 文学史
- 写実主義
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1864年(元治元年)、江戸生まれ。本名は長谷川辰之助。東京外国語学校でロシア語を学び、ツルゲーネフをはじめとするロシア文学に傾倒する。坪内逍遥の勧めと後見を受けて執筆した「浮雲」で、話し言葉に近い言文一致体による近代小説の道を切り開いた。ロシア語からの翻訳「あひびき」でも写実的な描写文体を確立し、後進の作家に大きな影響を与えたが、自らの文学に飽き足らず、一時は文壇を離れて官吏や新聞記者として働いた。晩年に「其面影」「平凡」で創作に復帰するも、朝日新聞のロシア特派員として渡露した帰途、1909年(明治42年)、ベンガル湾上の船中で肺結核のため45歳で客死した。「あひびき」と「めぐりあひ」は1888年のツルゲーネフ翻訳で、創作と並んで新しい日本語の表現を模索した仕事である。東京外国語学校で教えた経験も持ち、文学の執筆だけに収まらない活動を続けた。翻訳と創作を往復した歩みは、近代小説の文体が形づくられる過程を示している。