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平凡(二葉亭四迷)のあらすじ・登場人物

平凡な男が綴る平凡な半生

  • 心理
  • 風刺

二葉亭四迷 1907年(明治40年)10月 「東京朝日新聞」

文字数
81,092字
読了目安
約2時間42分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

二葉亭四迷が晩年に発表した長編小説。1907年(明治40年)10月から12月にかけて「東京朝日新聞」に連載された。「平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙する」との自作解説どおり、冴えない下級官吏の「私」が、かつて志した文学と自らの凡庸な半生を自嘲まじりに振り返る一人称の告白体で綴られる。当時流行していた自然主義の重々しい告白文学を軽妙に皮肉った作品として知られる。

あらすじ

三十九歳になる下級官吏の「私」は、かつて文学を志しながら鳴かず飛ばずのまま平凡な人生を送ってきたことを、皮肉と自嘲を交えて振り返りはじめる。訪ねてきた文壇の旧友が得意げに文壇のゴシップや文学論を語るのを聞き流しながら、「私」の思いは幼い頃の記憶――厳格だった親のこと、可愛がっていた愛犬ポチのことへとさかのぼっていく。自らの半生をたどるうち、「私」は文学とは所詮空想の産物にすぎず、それにのめり込んで現実から浮わついた生き方をしてきた自分を、痛烈に、しかしどこか飄々と突き放してみせるのだった。

登場人物

冒頭部(原文より)

私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。

「平凡」二葉亭四迷(青空文庫)

末尾部(原文より)

文学は一体如何いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子もわれる。況んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ(終)二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。

「平凡」二葉亭四迷(青空文庫)

名文

私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。

平凡な半生を語り出す口語体の書き出し。言文一致に生涯を賭けた四迷が、晩年に到達した自在な語りの調子を伝える。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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