金貨(森鴎外)のあらすじ・登場人物
雨の夜に忍び込んだ左官
- 心理
- 風刺
- 文字数
- 14,631字
- 読了目安
- 約29分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1909年(明治42年)9月の「スバル」に発表された短編。雨の夜の千駄ヶ谷、酒を飲みたいが金がなく、家には帰りたくない左官の八が、通りがかった軍人のあとをつけ、その屋敷へ入り込む。貧しい男の意識を、鴎外は「閾の下の意識」といった心理学の言葉も使いながら追い、一夜の出来事を細かな描写で運ぶ。左官の八の口調と軍人たちの落ち着いた言葉が書き分けられている。題名の「金貨」が何を指すかは、読み進めて確かめられる。
あらすじ
左官の八は、継ぎ当てだらけの半纏を着て、千駄ヶ谷の停車場脇の坂の下にぼんやり立っている。酒が飲みたいが金はなく、家には恐ろしい「山の神」が待っていて帰れない。そこへ電車から軍人の三人連れが降りてくる。八は何か縁があるように感じて後をつけ、荒川大佐の屋敷の前に立つ。別当が夜遊びに出たのを見ると、八は無意識のうちに塀の中へ入り込む。縁側から忍んだ書斎で棚のコニャックを一息に飲み、机の引き出しから金入れの外国の貨幣を腹掛けへ入れる。うたた寝をして夜明けに屋敷を出ようとした八は、新宿から帰ってきた別当と鉢合わせし、取り押さえられる。駆けつけた主人の荒川は、八が差し出した貨幣を見て、洋行みやげの安い外国銀貨ばかりだと笑い、黄色く光る貨幣も五サンチームの銅貨にすぎないと明かす。別当は巡査に渡そうと言うが、荒川は「もう泥坊なんぞをしては行かんぞ」と八を放してやる。
登場人物
- 八 千駄ヶ谷に住む左官。酒を断たれた苦しさのなかで、軍人の屋敷に忍び込む
- 荒川 屋敷の主人の軍人。四角な顔の大らかな人で、侵入した八を叱りつつ放してやる
- 安中・宇都宮 荒川の屋敷に泊まっていた軍人の客
- 太吉 荒川家の別当。夜遊びから帰って八を捕らえる
冒頭部(原文より)
左官の八は、裏を返して縫ひ直して、継の上に継を当てた絆纏を着て、千駄ヶ谷の停車場脇の坂の下に、改札口からさす明を浴びてぼんやり立つてゐた。午後八時頃でもあつたらう。 八が頭の中は混沌としてゐる。飲みたい酒の飲まれない苦痛が、最も強い感情であつて、それが悟性と意志とを殆ど全く麻痺させてゐる。 八の頭の中では、空想が或る光景を画き出す。土間の隅に大きな水船があつて、綺麗な水がなみなみと湛へてある。水道の口に嵌めたゴム管から、水がちよろちよろとその中に落ちてゐる。水の上には小さい樽が二つ三つ浮いてゐる。水船のある所の上に棚が弔つてあつて、そこにコツプが伏せてある。そのコツプがはつきり目の前にあるやうに思はれるので、八はも少しで手をさし伸べて取らうとする処であつた。
「金貨」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
「旦那。此奴を巡査に渡してしまひませうか。」 太吉を見る八の目は輝いた。 荒川は別当に、「余計な事を言ふな」と云つて、八には、 「お前は好いから行け、泥坊なんぞになるものぢやあないぞ」と云つた。八は黙つて、お辞儀をして、太吉を尻目で見て、潜門を出て行つた。 近処の家で、雨戸をがらがらと繰り明ける音がして、続いて咳払の声がした。
「金貨」森鴎外(青空文庫)
原文を読む
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