舞姫(森鴎外)のあらすじ・登場人物
異国で見つめ直す自分の生
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 16,190字
- 読了目安
- 約32分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1890年(明治23年)1月、『国民之友』に発表された、森鴎外の最初の創作小説。ドイツ留学の経験を生かし、『うたかたの記』『文づかひ』とともに独逸三部作と呼ばれる。帰国の船にいる太田豊太郎が、ベルリンで過ごした日々を書き記す回想の形をとる。官命を受けて留学した優秀な青年が、西欧の学問や自由な空気に触れ、それまで周囲の期待に従ってきた自分の生き方を意識し始める。やがて街角で出会う踊り子エリスとの関わりが、彼の日常に新たな意味をもたらす。漢語を交えた格調高い文語の中に、街路や下宿の風景と、揺れ動く内面が描き込まれている。国家や家族の期待、職業上の責任と個人の感情が交差する点も、近代文学史で注目されてきた。発表後には石橋忍月との論争が起こり、人物の行動や物語の組み立てをめぐる批評の対象となった。
あらすじ
官命によりドイツに留学した太田豊太郎は、法律の学問よりも西欧の自由な精神に触れるうち、次第に官途を離れ独自の道を志すようになる。ある日、生活に困り路上で泣いていた貧しい踊子エリスと出会い、援助をきっかけに親しくなる。その交際などを同僚から報告された豊太郎は免官を言い渡され、母の死も知って失意に沈むが、エリスに支えられ、二人は離れがたい仲となる。エリスと同棲しながら新聞の通信員として糊口をしのぐ豊太郎だったが、友人・相沢謙吉の計らいで大臣・天方伯の通訳として復官する機会を得る。大臣に随行してロシアへ旅立った豊太郎は、エリスとの愛と自らの立身との間で心を揺らす。ベルリンに戻った後、大臣から日本への同行を誘われ、断りきれずに承諾する。その心変わりを知った身重のエリスは、相沢からの知らせにショックを受けて発狂してしまう。豊太郎はエリスと生まれてくる子のことを彼女の母に託し、生活の資を残して、癒えることのない心の傷と、相沢への消えぬ恨みを抱いたまま、帰国の途につくのだった。
登場人物
- 太田豊太郎 官命でドイツに留学した青年官僚。本作の語り手であり主人公
- エリス 貧しい踊子。豊太郎と恋仲になり、身重の身で発狂する
- 相沢謙吉 豊太郎の友人。復官の道を開くが、豊太郎に代わってエリスに真実を告げる
- 天方伯 豊太郎を通訳として重用する大臣
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 船中の告白──セイゴンの港にて
- 五 伯林の秀才──「まことの我」の目ざめ
- 六 クロステル巷の出会いと免官
- 七 貧しくも楽しき日々──通信員の生活
- 八 カイゼルホオフの再会と魯西亜行
- 九 結末──雪の夜と「パラノイア」
- 十 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜ごとにここに集い来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。五年前の事なりしが、平生の望み足りて、洋行の官命をこうむり、このセイゴンの港まで来しころは、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新たならぬはなく、筆に任せて書きしるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけん、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもえば、穉き思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗などをさえ珍しげにしるししを、心ある人はいかにか見けん。こたびは途に上りしとき、日記ものせんとて買いし冊子もまだ白紙のままなるは、独逸にて物学びせし間に、一種の「ニル・アドミラリイ」の気象をや養い得たりけん、あらず、これには別に故あり。
「舞姫」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用はほとんど全く廃して、その痴なること赤児のごとくなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起こりし「パラノイア」という病なれば、治癒の見込みなしという。ダルドルフの癲狂院に入れんとせしに、泣き叫びて聴かず、のちにはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔す。余が病牀をば離れねど、これさえ心ありてにはあらずと見ゆ。ただおりおり思いいだしたるように「薬を、薬を」というのみ。余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の涙をそそぎしは幾度ぞ。大臣にしたがいて帰東の途に上りしときは、相沢とはかりてエリスが母にかすかなる生計を営むに足るほどの資本を与え、あわれなる狂女の胎内にのこしし子の生まれんおりのことをも頼みおきぬ。ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されどわが脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。
「舞姫」森鴎外(青空文庫)
名文
石炭をばはや積み果てつ。
帰国の途、寄港地の船中から筆を起こす名高い書き出し。異国に恋人を残した豊太郎の悔恨の告白が、この一句の静けさから始まる。
ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されどわが脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。
末尾の一行。恩人でありながら恋人との仲を裂いた友への憎しみを、告白の最後に置いて終わる痛切な結び。
なんらの光彩ぞ、わが目を射んとするは。なんらの色沢ぞ、わが心を迷わさんとするは。
ベルリンに着いた太田豊太郎が、ウンテル・デン・リンデンの華やかさに目を奪われる場面。雅文体の対句が、西洋の大都会に立つ明治の青年の驚きを伝える。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。