阿部一族(森鴎外)のあらすじ・登場人物
忠義と家の名誉をめぐって
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 歴史
- 社会
- 文字数
- 27,549字
- 読了目安
- 約55分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 熊本県
この作品について
1913年(大正2年)1月、『中央公論』に発表された森鴎外の歴史小説。江戸初期の肥後熊本藩を舞台に、『阿部茶事談』を主な材料として、藩主細川忠利の死と家臣たちの対応を描く。主君の死に従って命を絶つ殉死が、忠義や家の名誉と結びついていた社会で、老臣阿部弥一右衛門とその家族がどのような立場に置かれるかが物語の軸となる。簡潔な叙述の中に、主従関係、家督や知行、周囲の評判といった要素を積み重ね、武士の行動を支える秩序を浮かび上がらせる。前年には乃木希典の殉死が社会的な議論を呼んでおり、本作も『興津弥五右衛門の遺書』とともに、その時代背景に照らして読まれてきた。歴史上の事件をもとにしながら、材料とした記録には脚色も含まれるため、小説の筋と史実は区別する必要がある。忠義という言葉の内側にある、個人・家・組織それぞれの論理を見つめる作品である。
あらすじ
肥後熊本藩主・細川忠利が重病に陥ると、近侍の家臣たちは殉死を願い出て許され、主君の死後に腹を切っていく。長年忠実に仕えてきた老臣・阿部弥一右衛門もまた殉死を願うが、忠利は「生きて新藩主を助けよ」と言い残し、ただ一人許しを与えぬまま世を去る。生き残った弥一右衛門は、殉死の許しが出なかったことを幸いとして生き延びていると陰口を叩かれるようになり、面目を潰されたと感じて、ついに許されぬまま自ら腹を切ってしまう。新藩主・光尚はこれを不届きとみなし、阿部家の跡目を軽んじて冷遇する。屈辱に耐えかねた弥一右衛門の長男・権兵衛は法要の席で髻を切り、先代の位牌に供える。不敬とされた権兵衛は捕らえられ、縛り首となる。その処分に憤った弟たちは藩の討手を迎える覚悟を決め、屋敷に立て籠もる。一族は寄せ手を相手に奮戦するが、ことごとく討ち取られ、阿部家は滅び去るのだった。
登場人物
- 阿部弥一右衛門 細川家の老臣。殉死を許されなかったことを恥辱として自ら腹を切る
- 細川忠利 肥後熊本藩主。死に臨み弥一右衛門の殉死を許さぬまま没する
- 細川光尚 忠利の跡を継いだ新藩主。阿部家を冷遇し、のちに誅伐を命じる
- 阿部権兵衛 弥一右衛門の長男。父の不名誉に抗議し、一族誅伐の引き金を引く
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 殿の死と殉死の掟
- 五 十八人の死──長十郎と犬牽き五助
- 六 許されぬ願い──弥一右衛門と忠利
- 七 瓢箪に油を塗って──追腹
- 八 跡目の分割──林外記の献策
- 九 髻と縛首──一週忌の焼香
- 十 立て籠り──隣家の柄本又七郎
- 十一 討入り──寛永十九年四月二十一日
- 十二 後始末──賞と罰
- 十三 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆のとき賊将天草四郎時貞を討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守、阿部豊後守、阿部対馬守の連名の沙汰書を作らせ、針医以策というものを、京都から下向させる。続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、曽我又左衛門という侍を上使につかわす。大名に対する将軍家の取扱いとしては、鄭重をきわめたものであった。島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸の邸に添地を賜わったり、鷹狩の鶴を下されたり、ふだん慇懃を尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのも尤もである。
「阿部一族」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
畑十太夫は追放せられた。竹内数馬の兄八兵衛は私に討手に加わりながら、弟の討死の場所に居合わせなかったので、閉門を仰せつけられた。また馬廻りの子で近習を勤めていた某は、阿部の屋敷に近く住まっていたので、「火の用心をいたせ」と言って当番をゆるされ、父と一しょに屋根に上がって火の子を消していた。のちにせっかく当番をゆるされた思召しにそむいたと心づいてお暇を願ったが、光尚は「そりゃ臆病ではない、以後はも少し気をつけるがよいぞ」と言って、そのまま勤めさせた。この近習は光尚の亡くなったとき殉死した。阿部一族の死骸は井出の口に引き出して、吟味せられた。白川で一人一人の創を洗ってみたとき、柄本又七郎の槍に胸板をつき抜かれた弥五兵衛の創は、誰の受けた創よりも立派であったので、又七郎はいよいよ面目を施した。
「阿部一族」森鴎外(青空文庫)
名文
従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ
官位を連ねた重々しい一文で始まる書き出し。殉死を許されなかった阿部一族が滅びへ向かう、鷗外の歴史小説を代表する一篇。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。