破戒(島崎藤村)のあらすじ・登場人物

素性を隠せという父の戒め

作者
島崎藤村
発表
1906年(明治39年)3月
初出
書き下ろし
種別
小説
ジャンル
  • 社会
  • 心理
舞台
  • 長野県
文字数
202,968字
読了目安
約6時間46分
表記
新字旧仮名

この作品について

島崎藤村が1906年(明治39年)に自費出版した長編小説。詩人として出発した藤村が小説へと転じ、最初に世に問うた作品で、被差別部落出身の青年教師が「素性を隠せ」という父の戒めと、真実を告白したいという良心との間で苦悩する姿を描く。社会の差別の現実を正面から見据えたその筆致は、日本の自然主義文学の記念碑的作品として文学史に位置づけられ、夏目漱石も高く評価した。

あらすじ

信州飯山の小学校に奉職する青年教師・瀬川丑松は、被差別部落の出身でありながら、その素性をひた隠しにして生きている。「わが素性を人に明かすな」という父の厳しい戒めを守り、教師としての務めに励む一方で、同じ境遇に生まれながら堂々と身分を公表して差別と闘う思想家・猪子蓮太郎に強く心を惹かれていく。やがて父の訃報に接し、敬愛する蓮太郎が非業の死を遂げるに及んで、丑松の胸のうちで「隠す」ことへの苦しみと自己欺瞞への嫌悪はいよいよ募っていく。ついに彼は、教え子たちの前で自らが穢多の子であることを告白し、父の戒めを破る。真実に殉じた丑松を待っていたのは、教壇を追われる運命であった。それでも偽りを捨てて生きようとする青年の姿に、藤村は近代人の良心と社会の非情とを鋭く刻み込んだ。

登場人物

人物相関図

「隠せ」の一戒を授ける『懴悔録』で精神を導くひそかに心を寄せる師範校以来の友。最後まで弁護する素性を校長に耳打ち異分子として除こうと図る懐刀同じ出自の教え子取引を断られ素性を町へ流す壮士を使って襲わせる養父。想いを懸ける妻。離縁を決意する実父。酒を断てぬ老教員校長「教育は則ち規則である」と説く旧派かつのぶんぺい勝野文平検定試験から入った正教員。郡視学の甥丑松の父西乃入牧場の牧夫。向町の「お頭」の家柄せんた仙太尋常三年の生徒。級友の輪に入れないつちやぎんのすけ土屋銀之助丑松の同僚教師。師範校以来の同窓せがわうしまつ瀬川丑松飯山の小学校の主座教員。二十四歳おしほお志保敬之進の先妻の娘。蓮華寺の養女かざまけいのしん風間敬之進もと飯山の藩士。老朽な小学教員たかやなぎりさぶろう高柳利三郎飯山の新進政事家。代議士の候補者いのこれんたろう猪子蓮太郎素性を公表して社会と戦う思想家蓮華寺の住職学問も弁才もあるが女の過ちを繰り返す蓮華寺の奥様住職の妻。有髪の尼で世話好き
人物の関係を整理した相関図(アプリ収録の図をそのまま掲載しています)

章ごとの「厳選あらすじ」

アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。

  1. 一 この作品について
  2. 二 主要人物
  3. 三 主要なサブキャラクター
  4. 四 導入──下宿を追われた大尽と『懴悔録』
  5. 五 天長節の夜──呼ぶ声と父の死
  6. 六 帰郷──牧場の墓と先輩との邂逅
  7. 七 言い得ぬまま──屠牛場と上田の別れ
  8. 八 迫る秘密──高柳の取引と町の噂
  9. 九 蓮太郎の死と破戒
  10. 十 結末──雪の千曲川を去る
  11. 十一 重要な設定と伏線

冒頭部(原文より)

蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹で、丁度其二階の窓に倚凭つて眺めると、銀杏の大木を経てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前に見るやうな小都会、奇異な北国風の屋造、板葺の屋根、または冬期の雪除として使用する特別の軒庇から、ところ/″\に高く顕れた寺院と樹木の梢まで――すべて旧めかしい町の光景が香の烟の中に包まれて見える。

『破戒』島崎藤村(青空文庫)

末尾部(原文より)

斯う言つて、名残を惜む生徒にも同じ意味の言葉を繰返して、やがて丑松は橇に乗らうとした。 『御機嫌よう。』 それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であつた。 蕭条とした岸の柳の枯枝を経てゝ、飯山の町の眺望は右側に展けて居た。対岸に並び接く家々の屋根、ところ/″\に高い寺院の建築物、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽かに白く見渡される。天気の好い日には、斯の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇は雪の上を滑り始めた。

『破戒』島崎藤村(青空文庫)

名文

蓮華寺では下宿を兼ねた。

説明を省き、場面だけを差し出す簡潔な第一行。出自を隠して生きる青年教師・瀬川丑松の告白へ向かう、日本自然主義文学の記念碑的長編の幕開け。

一生の秘訣とは斯の通り簡単なものであつた。『隠せ。』――戒はこの一語で尽きた。

素性を明かすなという父の戒めを丑松が思い返す場面。この一語を守るか破るかの葛藤が、告白へ向かう物語の全体を貫いている。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

近い作品