人間失格(太宰治)のあらすじ・登場人物
道化の奥にひそむ孤独
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 心理
- 社会
- 文字数
- 73,021字
- 読了目安
- 約2時間26分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 青森県
- 東京都
- 神奈川県
この作品について
1948年(昭和23年)6月から8月にかけて『展望』に連載された、太宰治晩年の中編小説。他人の気持ちや世間の習慣になじめず、人を笑わせる「道化」によって周囲と関わろうとする大庭葉蔵を主人公に、その幼少期からの歩みを描く。三冊の手記を「はしがき」と「あとがき」が囲む構成をとり、自分について語る葉蔵と、外から彼を見る人物の視線が重ねられている。口語的な語りには自己への厳しいまなざしと滑稽さが入り交じり、他者に理解されたいという願いと、本心をさらせない恐れが浮かび上がる。作者の経験を色濃く映す一方、主人公と作者をそのまま同一視できない、小説としての仕組みも備えている。1940年発表の『俗天使』にはすでに本作の題名が現れ、長く温められていた構想がうかがえる。太宰の没後、同年7月に筑摩書房から単行本が刊行された。
あらすじ
東北の裕福な家に生まれた大庭葉蔵は、幼い頃から人間の生活というものが理解できず、他人の怒りや本心が恐ろしくてたまらなかった。彼はその恐怖を隠すため、わざと滑稽に振る舞う「道化」を処世術として身につける。上京後は画塾で知り合った堀木に酒と煙草、淫売婦と左翼運動を教えられ、次第に破滅的な生活へと傾いていく。カフェの女給と鎌倉の海で心中を図るが自分だけが生き残り、罪の意識を深める。その後、純真な少女ヨシ子と結婚して一時は穏やかな生活を送るものの、ヨシ子が汚される事件をきっかけに再び酒に溺れ、モルヒネ中毒に陥り、ついには脳病院に収容される。葉蔵は自らを「人間失格」と感じる。やがて兄に引き取られ、東北の温泉地の家で老女中とともに暮らしながら、手記を書き終える。
登場人物
- 大庭葉蔵 本作の主人公。人間を恐れ、道化を演じて生きる手記の書き手
- 堀木正雄 葉蔵に酒や遊びを教えた画学生。悪友
- ヨシ子 葉蔵を信じ切る純真な妻
- ヒラメ 葉蔵の監視役を務める骨董商
- ツネ子 葉蔵と鎌倉で心中を図ったカフェの女給
- スタンド・バーのマダム 葉蔵の手記を「私」に託す女性
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 はしがき──三葉の写真
- 五 第一の手記──道化という処世術
- 六 第二の手記──「ワザ」の露見と鎌倉の海
- 七 第三の手記(一)──女たちのもとを転々と
- 八 第三の手記(二)──ヨシ子の信頼が汚された夜
- 九 結末──脳病院、そして廃人
- 十 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。
「人間失格」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
「人間失格」太宰治(青空文庫)
名文
恥の多い生涯を送って来ました。
主人公・大庭葉蔵の手記の書き出し。以降の告白全体を貫く自己否定の調子を、この一文が決定づける。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。
手記の結びに置かれた一句。幸も不幸も等しく流れ去るという諦念が、葉蔵の長い告白の到達点として示される。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
脳病院へ入れられた葉蔵の問い。抗わずに流されてきた自分の一生を、たった一行で神の前へ差し出す。
そこで考え出したのは、道化でした。 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
人間の営みが理解できず恐れていた葉蔵が、幼い頃に編み出した処世の方法。道化によってかろうじて人とつながろうとする、主人公の生き方の原点。
人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
脳病院に入れられた葉蔵が、自らに下す宣告。作品の題名がそのまま現れる一節で、手記はここから静かな結末へと向かう。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
「世間が、ゆるさない」と言う友人堀木を前に、葉蔵が抱く疑問。このあと「世間というのは、君じゃないか」と続き、世間の正体を個人に見る視点が示される。
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。
自分を愛してくれる女性との幸福から逃げ出そうとする葉蔵の心理。幸福さえ受け止めきれない臆病さを、「綿で怪我をする」という比喩で言い表す。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
作品の最後の一行。手記を託されたバーのマダムが葉蔵を振り返る言葉で、自らを「人間失格」と断じた男を、他者の目から優しく救い上げて終わる。
ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
堀木との関係を振り返りながら葉蔵が漏らす言葉。親友と思い込んだまま互いを誤解して一生を終える人間の姿に、他者と通じ合えない葉蔵の絶望が表れている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。