浮雲(林芙美子)のあらすじ・登場人物
敦賀の雨に始まる戦後
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 229,767字
- 読了目安
- 約7時間40分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
- 群馬県
- 鹿児島県
この作品について
林芙美子の長編小説で、敗戦直後の日本と、戦時中の仏印(フランス領インドシナ)を舞台に、男女の関係を描く。1949年(昭和24)に雑誌『風雪』で連載が始まり、1955年には成瀬巳喜男監督で映画化された。本文は、南方から引き揚げてきたゆき子が、敦賀の収容所を出て、冷たいみぞれの降る町で故国の畳に初めて身を横たえる場面から始まる。仏印で出会った農林省の技師・富岡とのことは、回想や再会を通じて少しずつ明かされる。扉にはシェストフの言葉が掲げられ、戦後の混乱のなかで立ち行かない暮らしと人間関係を、旧かな遣いの息の長い文章でたどる。
あらすじ
敗戦の年の冬、ゆき子は引揚船で敦賀に降り立つ。頼る家もない彼女の胸にあるのは、戦時中、タイピストとして渡った仏印ダラットでの日々――高原の避暑地の、夢のように豊かな暮らしと、そこで恋に落ちた農林省技師・富岡の面影である。妻の待つ日本へ戻った富岡は、再会したゆき子に煮え切らない態度を続け、ゆき子もまた別の男に身を寄せながら、それでも二人は互いから離れられない。心中を口にして出かけた伊香保温泉では、宿の若い妻おせいと富岡が通じ、ゆき子は嫉妬に苦しむ。堕胎、ヒモ同然の暮らし、新興宗教で金を握った男との同棲――ずるずると堕ちていく二人の関係は、しかしどちらかが沈むと必ずもう一方が手を差しのべる、奇妙な運命の絆でもあった。やがて富岡は屋久島の営林署への赴任を決め、病んだゆき子は同行を願う。降りやまぬ雨の島で、ゆき子は息を引き取り、富岡はひとり、消えるともなく消えてゆく浮雲のような己れの姿を見つめる。戦後という時代の虚無を男女の関係の底まで見据えた、林芙美子文学の頂点である。
登場人物
- 幸田ゆき子 タイピストとして戦時中の仏印に渡り、富岡と恋に落ちる。引揚後も富岡から離れられず、堕ちていく
- 富岡兼吾 農林省の技師。妻がありながらゆき子と関係を結ぶ。優柔不断で虚無的な、戦後の男の典型
- 伊庭杉夫 ゆき子の遠縁の男。かつてゆき子を弄び、戦後は新興宗教で金を握る
- おせい 伊香保温泉の宿の若い妻。富岡と通じて上京し、ゆき子の嫉妬の的となる
- 加野 仏印時代の富岡の同僚。ゆき子に思いを寄せていた
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 仏印ダラット──高原の恋
- 五 引揚げ──焼跡の再会
- 六 伊香保への旅──死ねなかった二人
- 七 堕ちてゆく道──宗教と孤独
- 八 六十万円と屋久島──最後の旅
- 九 結末──ゆき子の死と浮雲
- 十 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
なるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容所で別れて、税関の倉庫に近い、荒物屋兼お休み処といつた、家をみつけて、そこで独りになつて、ゆき子は、久しぶりに故国の畳に寝転ぶことが出来た。 宿の人々は親切で、風呂をわかしてくれた。小人数で、風呂の水を替へる事もしないとみえて、濁つた湯だつたが、長い船旅を続けて来たゆき子には、人肌の浸みた、白濁した湯かげんも、気持ちがよく、風呂のなかの、薄暗い煤けた窓にあたる、しやぶしやぶしたみぞれまじりの雨も、ゆき子の孤独な心のなかに、無量な気持ちを誘つた。
「浮雲」林芙美子(青空文庫)
末尾部(原文より)
女は早口に、訛りの強い言葉で喋り、ギター弾きを追ひかへした。そのアクセントが、何となくゆき子に似てゐる。雨の浸みこむ土の下に、土葬をしたゆき子の、あの時のおもかげが、富岡の胸に焼きついてゐるのだ。それにしても、あの強い、一つの生命は、ほろびた。そしてまた、こゝにも、あらゆるまどはしの麦は芽を噴いてゐる。性こりもなく、情緒に誘はれるアダム……。神は無数に種子を蒔いた。収獲は、たゞ、「おのづから」なる力にすがつて育つてゐるだけだ。 屋久島へ帰る気力もない。だが、ゆき子の土葬にした亡骸をあの島へ、たつた一人置いて去るにも忍びないのだ。それかと云つて、いまさら、東京に戻つて何があるだらうか……。 富岡は、まるで、浮雲のやうな、己れの姿を考へてゐた。それは、何時、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲である。
「浮雲」林芙美子(青空文庫)
原文を読む
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