浮雲(林芙美子)のあらすじ・登場人物
別れきれぬ男女、屋久島への旅
- 作者
- 林芙美子
- 発表
- 1949年(昭和24年)11月
- 初出
- 風雪
- 種別
- 小説
- ジャンル
- 恋愛
- 心理
- 舞台
- 東京都
- 群馬県
- 鹿児島県
- 文字数
- 229,767字
- 読了目安
- 約7時間40分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
敗戦後の日本を舞台に、戦時中の仏印(フランス領インドシナ)で結ばれた男女の、腐れ縁としか呼びようのない愛の果てを描いた長編。タイピストとして南方に渡ったゆき子と、妻ある農林省技師・富岡。焼跡の東京で再会した二人は、別れては求め合うことを繰り返しながら、雨の屋久島へと流れついていく。林芙美子の文学の集大成と評される最高傑作で、成瀬巳喜男監督による映画化でも名高い。
あらすじ
敗戦の年の冬、ゆき子は引揚船で敦賀に降り立つ。頼る家もない彼女の胸にあるのは、戦時中、タイピストとして渡った仏印ダラットでの日々――高原の避暑地の、夢のように豊かな暮らしと、そこで恋に落ちた農林省技師・富岡の面影である。妻の待つ日本へ戻った富岡は、再会したゆき子に煮え切らない態度を続け、ゆき子もまた別の男に身を寄せながら、それでも二人は互いから離れられない。心中を口にして出かけた伊香保温泉では、宿の若い妻おせいと富岡が通じ、ゆき子は嫉妬に苦しむ。堕胎、ヒモ同然の暮らし、新興宗教で金を握った男との同棲――ずるずると堕ちていく二人の関係は、しかしどちらかが沈むと必ずもう一方が手を差しのべる、奇妙な運命の絆でもあった。やがて富岡は屋久島の営林署への赴任を決め、病んだゆき子は同行を願う。降りやまぬ雨の島で、ゆき子は息を引き取り、富岡はひとり、消えるともなく消えてゆく浮雲のような己れの姿を見つめる。戦後という時代の虚無を男女の関係の底まで見据えた、林芙美子文学の頂点である。
登場人物
- 幸田ゆき子 タイピストとして戦時中の仏印に渡り、富岡と恋に落ちる。引揚後も富岡から離れられず、堕ちていく
- 富岡兼吾 農林省の技師。妻がありながらゆき子と関係を結ぶ。優柔不断で虚無的な、戦後の男の典型
- 伊庭杉夫 ゆき子の遠縁の男。かつてゆき子を弄び、戦後は新興宗教で金を握る
- おせい 伊香保温泉の宿の若い妻。富岡と通じて上京し、ゆき子の嫉妬の的となる
- 加野 仏印時代の富岡の同僚。ゆき子に思いを寄せていた
人物相関図
章ごとの「厳選あらすじ」
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- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 仏印ダラット──高原の恋
- 五 引揚げ──焼跡の再会
- 六 伊香保への旅──死ねなかった二人
- 七 堕ちてゆく道──宗教と孤独
- 八 六十万円と屋久島──最後の旅
- 九 結末──ゆき子の死と浮雲
- 十 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
なるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容所で別れて、税関の倉庫に近い、荒物屋兼お休み処といつた、家をみつけて、そこで独りになつて、ゆき子は、久しぶりに故国の畳に寝転ぶことが出来た。 宿の人々は親切で、風呂をわかしてくれた。小人数で、風呂の水を替へる事もしないとみえて、濁つた湯だつたが、長い船旅を続けて来たゆき子には、人肌の浸みた、白濁した湯かげんも、気持ちがよく、風呂のなかの、薄暗い煤けた窓にあたる、しやぶしやぶしたみぞれまじりの雨も、ゆき子の孤独な心のなかに、無量な気持ちを誘つた。
『浮雲』林芙美子(青空文庫)
末尾部(原文より)
女は早口に、訛りの強い言葉で喋り、ギター弾きを追ひかへした。そのアクセントが、何となくゆき子に似てゐる。雨の浸みこむ土の下に、土葬をしたゆき子の、あの時のおもかげが、富岡の胸に焼きついてゐるのだ。それにしても、あの強い、一つの生命は、ほろびた。そしてまた、こゝにも、あらゆるまどはしの麦は芽を噴いてゐる。性こりもなく、情緒に誘はれるアダム……。神は無数に種子を蒔いた。収獲は、たゞ、「おのづから」なる力にすがつて育つてゐるだけだ。 屋久島へ帰る気力もない。だが、ゆき子の土葬にした亡骸をあの島へ、たつた一人置いて去るにも忍びないのだ。それかと云つて、いまさら、東京に戻つて何があるだらうか……。 富岡は、まるで、浮雲のやうな、己れの姿を考へてゐた。それは、何時、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲である。
『浮雲』林芙美子(青空文庫)
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