草枕(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
「非人情」の境地を求める画工の旅
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 心理
- 文字数
- 84,400字
- 読了目安
- 約2時間49分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 熊本県
この作品について
1906年(明治39年)9月の『新小説』に発表された夏目漱石の小説。人の世の住みにくさを考えながら山道を登る画家が、温泉のある那古井の里を訪ねる。利害や感情に振り回されず、世の中を絵や詩として眺めようとする「非人情」の姿勢が、旅と滞在を通して語られる。茶屋や宿での出会い、とりわけ宿の娘・那美への関心が、画家の思索と交じり合っていく。漢詩や俳句、東西の絵画・文学への言及が多く、風景の色や音を味わうことと、芸術について考えることが切れ目なくつながる文章に特色がある。画家は人を離れて美を見ようとしながらも、目の前の人々の暮らしや感情に触れ続ける。その距離の取り方自体が作品の問いとなっている。事件の成り行きだけでなく、物を見る角度や言葉の響きを楽しみながら読み進められる一編である。
あらすじ
一人の画家である「余」は、俗世の利害や感情から離れた「非人情」の境地で絵を描きたいと願い、山中の温泉宿・那古井の里へ旅に出る。峠の茶屋の婆さんから宿の若い女将・那美にまつわる噂を聞いた余は、那美の際立った美しさと、どこか浮世離れした立ち居振る舞いに惹きつけられていく。那美は離縁されて実家に戻った出戻りの身で、村では変わり者と噂されているが、余は彼女との交わりの中に、俗を超えた美の可能性を見出そうとする。滞在中、余は那美の従弟・久一の出征など、村の人々の哀歓に触れ、那美を写生帖に描くなどしながら日々を過ごす。物語の終わり、戦地へ赴く久一を見送る停車場で、那美は思いがけず元夫と汽車の窓越しに顔を合わせ、その表情に余がずっと探し求めていた「憐れ」の情が浮かぶ。余はついに、那美の顔に自分の絵を完成させる一瞬を見出すのだった。
登場人物
- 余 非人情の境地を求めて山里へ旅する画家。本作の語り手
- 那美 那古井の温泉宿の若い女将。離縁されて実家に戻った出戻りの身で、際立った美しさを持つ
- 久一 那美の従弟。戦地へ赴くため村を発つ青年
- 茶屋の婆さん 峠の茶屋の主。余に那美の噂話を語る
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 山路──「智に働けば角が立つ」
- 五 那古井の宿──夜の歌と幻の女
- 六 村の噂と振袖と湯煙
- 七 茶席と非人情の読書──「身を投げるに好い所」
- 八 鏡が池──椿と巌頭の女
- 九 短刀と財布──野武士との別れ
- 一〇 結末──停車場の「憐れ」
- 一一 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
「草枕」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練のない鉄車の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。
「草枕」夏目漱石(青空文庫)
名文
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
冒頭、山路を登る画工の独白。人の世の生きにくさを畳みかける対句で述べた、漱石屈指の名調子。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
冒頭の名調子に続く一節。住みにくい世をわずかでもくつろげるものにするために芸術があるという、本作の主題を述べる。
山路を登りながら、こう考えた。
日本近代文学で最も知られた書き出しの一つ。この短い一文に続いて、「智に働けば角が立つ」で始まる画工の思索が流れ出す。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
冒頭の思索の続き。住みにくい世の中を作ったのは特別な存在ではなく身近な普通の人々だと言い切り、だからこそ逃げ場はないという諦観へ進む。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
冒頭で語られる芸術論の核心。逃げ出せない世の中を少しでも住みよくするところに、詩人や画家の役目があると説く。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。
利害損得を離れた東洋の詩歌の境地を称える一節。忙しい近代にこそ、世俗を超えた詩の味わいが眠りのように必要だと説く。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
結末で、満洲へ向かう別れた夫を乗せた汽車を見送る那美さんの顔に「憐れ」が浮かんだ瞬間、画工が叫ぶ言葉。探し求めてきた画の完成を告げて、物語は閉じられる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。