吾輩は猫である(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
猫の目で笑う明治の知識人
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 風刺
- 社会
- 文字数
- 318,778字
- 読了目安
- 約10時間38分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1905年(明治38年)1月から翌年8月まで、『ホトトギス』に断続的に連載された夏目漱石の長編小説。名前のない猫が、中学教師の苦沙弥の家に住みつき、主人とその家族、訪ねてくる友人たちの暮らしを観察する。人間の言動を高みから論評する猫自身も、知ったかぶりや思い込みを見せるため、笑いは観察される人々だけに向かうわけではない。美学者の迷亭や理学者の寒月らの会話は、学問や芸術の話から法螺話へと自在に飛び、明治の知識人の自負や虚栄を浮かび上がらせる。大きな事件を一直線に追うよりも、家の内外の小さな騒動と、そこから広がる議論を積み重ねる構成に特色がある。漱石が教壇に立っていた時期に書かれ、小説家として知られる契機となった作品で、日常の観察を長いおしゃべりと風刺へ変える文章の楽しさがある。
あらすじ
名前のない一匹の猫が、中学教師・珍野苦沙弥の家に迷い込み住み着く。飄々とした観察眼を持つこの猫は、神経質で見栄っ張りな苦沙弥先生と、その家に出入りする友人たち――法螺話ばかりの美学者・迷亭、恋に浮かれる理学者・水島寒月、俗物じみた実業家・金田一家などを、皮肉たっぷりに観察し論評していく。苦沙弥先生の家をめぐる大小のいざこざ――泥棒騒動、隣家の中学生とのいさかい、金田家との対立などを通じて、明治の知識人社会の虚栄と滑稽さが軽妙に描き出される。物語に大きな筋立てはなく、猫の目を通した人間観察の連作として進むが、最後に猫はふとしたことでビールを舐めて酔い、誤って水甕に落ち、あがくのをやめて静かに死んでいく。
登場人物
- 吾輩 名前のない猫。珍野苦沙弥の家に住み着き、人間社会を皮肉たっぷりに観察する語り手
- 珍野苦沙弥 神経質で見栄っ張りな中学教師。吾輩の飼い主
- 迷亭 苦沙弥の友人。奇矯な言動と法螺話を得意とする美学者
- 水島寒月 苦沙弥の教え子。理学者で、令嬢との縁談に浮き足立つ
- 金田夫人 近隣に住む実業家一家の夫人。俗物的な鼻づまり声の持ち主として揶揄される
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 導入──名前のない猫、教師の家に住みつく
- 五 金田家という敵──鼻の一族
- 六 珍野家の日常──泥棒・鼠・銭湯
- 七 落雲館戦争と三つの処方箋
- 八 艶書事件と石地蔵
- 九 結末──ヴァイオリンと甕の中
- 一〇 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
「吾輩は猫である」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
「吾輩は猫である」夏目漱石(青空文庫)
名文
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
日本文学で最も有名な書き出しの一つ。名も無き猫の視点から人間社会を眺める本作の趣向が、この短い二文に凝縮されている。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
冒頭に続く一節。出自も名前も持たない猫の来歴が、飄々とした語り口で始まる。
吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
ビールに酔った猫が水甕に落ち、力尽きていく最期の場面。飄々と続いた長編を、静かな諦念と念仏で閉じる結び。
呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
最終章、苦沙弥の家に集った客たちが帰ったあとの猫の述懐。滑稽な人々の奥にひそむ寂しさを言い当てて、猫の死で終わる結末の哀感を準備する。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。