にごりえ(樋口一葉)のあらすじ・登場人物
銘酒屋に響く女たちの声
- 詳細なあらすじ
- 人物相関図
- 恋愛
- 社会
- 文字数
- 20,138字
- 読了目安
- 約40分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1895年(明治28年)9月の『文藝倶楽部』に発表された樋口一葉の短編小説。舞台は場末の銘酒屋「菊の井」。店先で客を呼び止める女たちの、威勢のよい掛け合いから物語が始まる。人気の酌婦お力は、飾らない物言いと人目を引く姿で知られるが、客や仲間に見せる顔だけでは捉えきれない思いを抱えている。店のにぎわいと貧しい長屋の生活とを並べ、金のやり取りと人への執着が日々の暮らしに食い込む様子を描く。地の文に会話が流れ込む文章は、声の調子や言いよどみまで伝え、ひとりの女性を世間の評判だけで語れない存在として浮かび上がらせる。一葉が本郷丸山福山町に暮らした時期の作品の一つで、華やかな客商売の表情と、その背後にある貧困や孤独とを同じ町の風景の中に置いている。
あらすじ
場末の銘酒屋「菊の井」で一番の売れっ子として名高い酌婦のお力は、身の上を隠したまま客をあしらう日々を送っているが、その心のうちには誰にも明かせない虚しさを抱えている。かつて商売を成していた男・源七は、お力に入れあげたことで身代を潰し、今は貧しい裏長屋で妻のお初、息子の太吉と暮らしながらも、なおお力への未練を断ち切れずにいる。お力を慕う客の一人・結城朝之助には、貧しい細工職人の父のことや、境遇を変えたいという胸の内を打ち明けるお力だったが、その苦悩を根から救ってくれる人はいない。盆の十六日の夜、お力は座敷を抜け出して町をさまよい歩き、行き会った朝之助にすがってその夜を共に過ごす。一方、お力の存在をめぐって諍いの絶えない源七の家では、とうとう源七が妻子に離縁を言い渡してしまう。数日後、新開の町から二つの棺が静かに運び出される。菊の井の隠居所からしのびやかに出されたお力の駕籠と、もう一つの棺。心中か、それとも無理心中か、真相は取り沙汰されるばかりで誰にも分からぬまま、噂だけが後に残るのだった。
登場人物
- お力 銘酒屋「菊の井」の看板酌婦。誰にも明かせぬ孤独と虚無を抱える本作の主人公
- 源七 かつて堅気の商売人だったが、お力に入れあげて身代を潰した男。今も未練を断ち切れずにいる
- お初 源七の妻。貧苦の中で夫を支えながらも、ついに離縁を言い渡される
- 結城朝之助 お力の贔屓客の一人。お力が唯一心のうちを打ち明ける相手
- 太吉 源七とお初の息子
人物相関図
章ごとの「詳細なあらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 導入──新開の町と菊の井のお力
- 五 結城朝之助という客
- 六 九尺二間──源七の家
- 七 盆の十六日──闇の中の独白
- 八 告白の夜──三代の不遇と味噌漉し
- 九 破局──離縁、そして二つの棺
- 十 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く気だらう、押かけて行つて引ずつて来るからさう思ひな、ほんとにお湯なら帰りにきつとよつておくれよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり。
「にごりえ」樋口一葉(青空文庫)
末尾部(原文より)
魂祭り過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは駕にて一つはさし担ぎにて、駕は菊の井の隠居処よりしのびやかに出ぬ、大路に見る人のひそめくを聞けば、あの子もとんだ運のわるいつまらぬ奴に見込れて可愛さうな事をしたといへば、イヤあれは得心づくだと言ひまする、あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしをしてゐたといふ確かな証人もござります、女も逆上てゐた男の事なれば義理にせまつて遣つたので御座ろといふもあり、何のあの阿魔が義理はりを知らうぞ湯屋の帰りに男に逢ふたれば、さすがに振はなして逃る事もならず、一処に歩いて話しはしてもゐたらうなれど、切られたは後袈裟、頬先のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる処を遣られたに相違ない、引かへて男は美事な切腹、蒲団やの時代からさのみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑらさうに見えたといふ、何にしろ菊の井は大損であらう、かの子には結搆な旦那がついた筈、取にがしては残念であらうと人の愁ひを串談に思ふものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど、恨は長し人魂か何かしらず筋を引く光り物のお寺の山といふ小高き処より、折ふし飛べるを見し者ありと伝へぬ。
「にごりえ」樋口一葉(青空文庫)
名文
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く気だらう、押かけて行つて引ずつて来るからさう思ひな
銘酒屋の店先から客を呼び止めるお力の声で始まる冒頭。地の文と会話が溶け合う一葉の話体が、遊里の空気をそのまま運んでくる。
ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処へ行かれるであらう
客を送り出した帰り道、お力が夜の町で洩らす独白。遊女として生きる身の行き場のなさが、繰り返しの言葉のうねりとなって噴き出す。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。