浮雲(二葉亭四迷)のあらすじ・登場人物
言文一致で書かれた最初の近代小説
- 作者
- 二葉亭四迷
- 発表
- 1887年(明治20年)6月
- 初出
- 書き下ろし
- 種別
- 小説
- ジャンル
- 恋愛
- 社会
- 舞台
- 東京都
- 文字数
- 112,995字
- 読了目安
- 約3時間46分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
二葉亭四迷の代表作となった長編小説。第一篇は1887年(明治20年)6月、第二篇は1888年(明治21年)2月、第三篇は1890年(明治23年)7月から8月にかけて発表された(第三篇は連載途中で中絶し、未完に終わっている)。話し言葉に近い言文一致体で書かれた日本初の本格的な近代小説とされ、坪内逍遥の勧めを受けて執筆された。優柔不断な青年の恋と煩悶を通じて、近代的な内面を持つ人間の心理を克明に描き出し、日本近代文学の出発点として高く評価されている。
あらすじ
官吏として真面目に勤めていた内海文三は、些細なことから免職となってしまう。文三は叔父の家に居候し、従妹のお勢に思いを寄せているが、免職の一件を機に、実利にさとく世渡り上手な友人・本田昇がにわかに叔母や叔父の家で幅を利かせるようになる。移り気なお勢の心も次第に本田になびいていくように見え、生真面目で内向的な文三は、疑心暗鬼と嫉妬に苛まれながら煩悶する日々を送る。就職活動もままならず、進退窮まる文三をよそに、お勢は本田との仲を周囲にほのめかしては文三の心をかき乱す。文三は幾度となく叔父の家を去る決心をしながらも、お勢への未練を断ち切れず、はっきりとした結末を迎えぬまま、鬱屈した思いを抱えて日々を送り続けるのだった。
登場人物
- 内海文三 免職となった生真面目な青年官吏。従妹のお勢への恋に煩悶する本作の主人公
- お勢 文三の従妹。移り気な性格で、文三と本田との間で揺れ動く
- 本田昇 文三の友人。世渡り上手でお勢の気を引く
- お政 お勢の母、文三の叔母
人物相関図
章ごとの「厳選あらすじ」
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- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 免職──ある十月二十八日
- 五 叔母の豹変と、お勢の弁護
- 六 団子坂の観菊
- 七 「痩我慢なら大抵にしろ」
- 八 「本田さんは私の気に入りました」
- 九 示談の失敗と、食卓での罵倒
- 十 お勢の眼を覚ますために──そして中絶
- 十一 重要な設定と伏線
冒頭部(原文より)
千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰れも顋を気にし給う方々。しかし熟々見て篤と点すると、これにも種々種類のあるもので、まず髭から書立てれば、口髭、頬髯、顋の鬚、暴に興起した拿破崙髭に、狆の口めいた比斯馬克髭、そのほか矮鶏髭、貉髭、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡くもいろいろに生分る。髭に続いて差いのあるのは服飾。白木屋仕込みの黒物ずくめには仏蘭西皮の靴の配偶はありうち、これを召す方様の鼻毛は延びて蜻蛉をも釣るべしという。これより降っては、背皺よると枕詞の付く「スコッチ」の背広にゴリゴリするほどの牛の毛皮靴、そこで踵にお飾を絶さぬところから泥に尾を曳く亀甲洋袴、いずれも釣しんぼうの苦患を今に脱せぬ貌付。デモ持主は得意なもので、髭あり服あり我また奚をかめんと済した顔色で、火をくれた木頭と反身ッてお帰り遊ばす、イヤお羨しいことだ。
『浮雲』二葉亭四迷(青空文庫)
末尾部(原文より)
編物を始めた四五日後の事で有った、或日の夕暮、何か用事が有って文三は奥座敷へ行こうとて、二階を降りてと見ると、お勢が此方へ背を向けて縁端に佇立んでいる。少しうなだれて何か一心に為ていたところ、編物かと思われる。珍らしいうちゆえと思いながら、文三は何心なくお勢の背後を通り抜けようとすると、お勢が彼方向いたままで、突然「まだかえ?」という。勿論人違と見える。が、この数週の間妄想でなければ言葉を交えた事の無いお勢に今思い掛なくやさしく物を言いかけられたので、文三ははっと当惑して我にも無く立留る、お勢も返答の無いを不思議に思ってか、ふと此方を振向く途端に、文三と顔を相視しておッと云って驚いた、しかし驚きは驚いても、狼狽はせず、徒莞爾したばかりで、また彼方向いて、そして編物に取掛ッた。文三は酒に酔った心地、どう仕ようという方角もなく、只茫然として殆ど無想の境に彷徨ッているうちに、ふと心附いた、は今日お政が留守の事。またと無い上首尾。思い切って物を言ってみようか……と思い掛けてまたそれと思い定めぬうちに、下女部屋の紙障がさらりと開く、その音を聞くと文三は我にも無く突と奥座敷へ入ッてしまった――我にも無く、殆ど見られては不可とも思わずして。奥座敷へ入ッて聞いていると、やがてお鍋がお勢の側まで来て、ちょいと立留ッた光景で「お待遠うさま」という声が聞えた。お勢は返答をせず、只何か口疾に囁いた様子で、忍音に笑う声が漏れて聞えると、お鍋の調子外の声で「ほんとに内海……」「しッ!……まだ其所に」と小声ながら聞取れるほどに「居るんだよ」。お鍋も小声になりて「ほんとう?」「ほんとうだよ」こう成て見ると、もう潜ているも何となく極が悪くなって来たから、文三が素知らぬ顔をしてふッと奥座敷を出る、その顔をお鍋は不思議そうに眺めながら、小腰を屈めて「ちょいとお湯へ」と云ッてから、ふと何か思い出して、肝を潰した顔をして周章て、「それから、あの、若し御新造さまがお帰なすって御膳を召上ると仰ッたら、お膳立をしてあの戸棚へ入れときましたから、どうぞ……お嬢さま、もう直宜うござんすか? それじゃア行ってまいります」。お勢は笑い出しそうな眼元でじろり文三の顔を掠めながら、手ばしこく手で持っていた編物を奥座敷へ投入れ、何やらお鍋に云って笑いながら、面白そうに打連れて出て行った。主従とは云いながら、同程の年頃ゆえ、双方とも心持は朋友で、尤もこれは近頃こうなッたので、以前はお勢の心が高ぶっていたから、下女などには容易に言葉をもかけなかった。出て行くお勢の後姿を目送って、文三は莞爾した。どうしてこう様子が渝ったのか、それを疑っているに遑なく、ただ何となく心嬉しくなって、莞爾した。それからは例の妄想が勃然と首を擡げて抑えても抑え切れぬようになり、種々の取留も無い事が続々胸に浮んで、遂には総てこの頃の事は皆文三の疑心から出た暗鬼で、実際はさして心配する程の事でも無かったかとまで思い込んだ。が、また心を取直して考えてみれば、故無くして文三を辱めたといい、母親に忤いながら、何時しかそのいうなりに成ったといい、それほどまで親かった昇と俄に疏々しくなったといい、――どうも常事でなくも思われる。と思えば、喜んで宜いものか、悲んで宜いものか、殆ど我にも胡乱になって来たので、あたかも遠方から撩る真似をされたように、思い切っては笑う事も出来ず、泣く事も出来ず、快と不快との間に心を迷せながら、暫く縁側を往きつ戻りつしていた。が、とにかく物を云ったら、聞いていそうゆえ、今にも帰ッて来たら、今一度運を試して聴かれたらその通り、若し聴かれん時にはその時こそ断然叔父の家を辞し去ろうと、遂にこう決心して、そして一と先二階へ戻った。
『浮雲』二葉亭四迷(青空文庫)
名文
千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰れも顋を気にし給う方々。
言文一致体の嚆矢とされる本作だが、冒頭は江戸戯作ゆずりの雅俗折衷の名調子。退庁時刻の役人たちを蟻や蜘蛛の子に見立て、明治の東京を活写する。
原文を読む
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