訳本ファウストについて(森鴎外)のあらすじ・登場人物
訳本は訳本に語らせる
- 文字数
- 5,856字
- 読了目安
- 約12分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
鴎外が訳した『ファウスト』(冨山房刊)について、訳者が刊行の事情と考えを述べた文章。訳本には余計な書き添えをせず「訳本をして自ら語らしめる」方針だったこと、装幀と校閲を木下杢太郎(太田正雄)が引き受けたこと、解説は別に『ファウスト考』『ファウスト作者伝』として文芸委員会へ出したことを記す。正誤表の経緯、誤訳をめぐる世評、帝国劇場での第一部の上演への反応にも答える。初出の年月は定かでない。
あらすじ
鴎外は、訳した『ファウスト』については訳本に自ら語らせるつもりで、印行本には余計なことを書き添えなかったと述べる。そのため、扉の次にある文芸委員会の文句と、装幀をした太田正雄(木下杢太郎)への謝辞のほかには何も記されず、作者ゲーテの名さえ出ていない。太田は扉の枠と頁頭の模様を描き、訳本全部を一校してくれたという。解説の代わりに、フィッシェルの研究に拠る『ファウスト考』とビールショウスキーのゲーテ伝に拠る『ファウスト作者伝』を書いて、文芸委員会へ出した。翻訳の凡例は、作者がこの場合に日本語で言うならどう言うかを考えて書いただけで、立てる箇条がない。正誤表の経緯、友人の化学者との話で見つけた硫酸の誤りの例、帝国劇場での第一部上演をめぐる「汚涜」との批評への考えを述べ、ルターの聖書訳も当時は荘重を損なうと感じられたと添える。
冒頭部(原文より)
私が訳したファウストについては、私はあの訳本をして自ら語らしめる積でいる。それで現にあの印行本にも余計な事は一切書き添えなかった。開巻第一の所謂扉一枚の次に文芸委員会の文句が挿んであるが、あれも委員会からの注意を受けて、ようよう入れたのである。その裏に太田正雄さん、文壇での通名木下杢太郎さんがこの本の装釘をして下すったと云うことわりがきがドイツ文で書き入れてあるが、あれも文芸委員会の文句を入れるに極まってから、その紙の裏が白くなるので、それを避けるために、思い立って入れた。それは太田さんに尽力して貰って難有く思っていたので、何かの機会に公に鳴謝したいと思っていたからである。文芸委員会が私にその機会を与えてくれたのである。それ以上には何物も書き添えて無い。この極端な潔癖の結果として随分可笑しい事が生じた。それはあの印行本二冊のどこにもファウストの作者ウォルフガング・ギョオテの名が出ていぬと云う事実である。
「訳本ファウストについて」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
もしそうだとするなら、それは演出者が私に誤られたものとして、私は演出者に謝しても好い。しかしこの方面の批評をした人の中には、「世間がファウストを本質以上に買い被っていた迷を、私の平俗な文と演出者の率直な技とで打破したのだ、私と演出者とは偶像破壊者だ」と云った人もある。これは一種の諷刺のようにも聞き取られるが、ある友達の云うには、あれはやはり真に偶像破壊と云うことを快事だとして言ったのだろうと云うことである。それはどちらにしてもマルチン・ルテルの聖書のドイツ訳だって、当時は荘重を損じたように感じたのだから、ファウストを訳する人は、私のように不学無識でなくても、多少こんな意味の誚を受けずにはいられぬはずではあるまいか。私はルテルを以て自ら比するものでは無い。ファウストを訳するのは人々の自由である。第一部は既往にも訳した人があった。未来において一層荘重な新訳が出るならば、私もそれを歓迎する一人たることを辞せないだろう。
「訳本ファウストについて」森鴎外(青空文庫)
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