斎藤緑雨の生涯と代表作
毒舌も芸のうち
- 生没
- 1868–1904
- 出身
- 三重県
- Wikipedia
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略歴
1868年(慶応3年)、伊勢国神戸(現在の三重県鈴鹿市)に津藩医の子として生まれる。本名は賢(まさる)。幼くして一家で江戸に移り、本所緑町に住んだことが号「緑雨」の由来とされる。明治法律学校に学ぶが中途で退き、仮名垣魯文に師事して文筆の道に入った。辛辣で機知に富む評論家として早くから頭角を現し、1891年(明治24年)に発表した『油地獄』『かくれんぼ』で小説家としても認められる。森鴎外・幸田露伴とともに雑誌「めさまし草」の匿名合評「三人冗語」を担当し、樋口一葉の才能をいち早く見抜いて世に広めた一人でもあった。一葉の没後はその全集の校訂にあたっている。皮肉と警句を得意とし、江戸戯作の伝統を近代に受け継ぐ洒脱な文体で知られた。晩年は肺結核と貧窮に苦しみ、1904年(明治37年)、36歳で没した。