樋口一葉の名文
樋口一葉の作品から、よく知られた一節を集めました。
6件
大つごもり
井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゆうひゆうと吹ぬきの寒さ
奉公先の台所の寒さから書き起こす冒頭。大晦日の金に追い詰められる少女お峰の一日を、雅俗折衷の名調子で描き出す。
たけくらべ
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き。
吉原大門のほとりの遊里を、流れるような雅俗折衷の名調子で描き出す冒頭。少年少女の淡い日々を包む、町のにぎわいと空気が立ち上る。
或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが
結び。僧となるために去っていく信如が、名も告げずに残した水仙の造花だけが、口にされなかった思いを伝える。
にごりえ
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く気だらう、押かけて行つて引ずつて来るからさう思ひな
銘酒屋の店先から客を呼び止めるお力の声で始まる冒頭。地の文と会話が溶け合う一葉の話体が、遊里の空気をそのまま運んでくる。
ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処へ行かれるであらう
客を送り出した帰り道、お力が夜の町で洩らす独白。遊女として生きる身の行き場のなさが、繰り返しの言葉のうねりとなって噴き出す。
十三夜
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと両親に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ帰して悄然と格子戸の外に立てば
離縁を決意して実家へ帰る、お関の十三夜の場面から始まる冒頭。晴れがましかった日々との落差が一文で示される。