魯迅の名文
魯迅の作品から、よく知られた一節を集めました。
11件
阿Q正伝
わたしは阿Qの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。
魯迅『阿Q正伝』の書き出し。名もない日雇い男の「正伝」を書くという、伝記の形式を借りた皮肉な語り口がここから始まる。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中で思った。「乃公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し勝ち慢って立去る。
殴られても心の中で勝ったことにしてしまう、阿Qの「精神上の勝利法」を描く場面。本作を代表する、笑いと痛みの入りまじった一節。
阿Qは悟った。乃公は自ら軽んじ自ら賤しむことの出来る第一の人間だ。
「虫ケラ」と言わされても、すぐ自分を「第一の人間」に仕立て直す阿Q。負けを勝ちにすり替える精神のありようが、鋭い風刺として描かれる。
故郷
希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。
作品を結ぶ一節。変わり果てた故郷と幼なじみとの隔たりに打ちのめされた「わたし」が、それでも次の世代へ託す希望を、人が歩いてできる道にたとえる(井上紅梅訳)。
狂人日記
わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。ずっと睡らずに夜中まで見詰めていると、文字の間からようやく文字が見え出して来た。本一ぱいに書き詰めてあるのが「食人」の二字。
魯迅『狂人日記』でもっとも有名な一節。道徳を説く文字の行間に「食人」を読み取る狂人の目を通して、旧い社会を告発する。
四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。
終わり近くの断章。自分もまたその歴史の中にいたと気づいた「わたし」の絶望が、短い言葉に凝縮されている。
人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。
結びの断章の一文。この後に「救えよ救え。子供……」の叫びが続き、中国近代文学の出発点となった作品が未来への願いで閉じられる。
孔乙己
孔乙己は立飲みの方でありながら長衫を著た唯一の人であった。
酒場の小僧だった「わたし」が孔乙己を紹介する一文。立ち飲みの客なのに読書人の長衣を着る姿に、落ちぶれた旧知識人の境遇が表れる。
「窃書は盗みの数に入らない。窃書は読書人の為す事で盗みの数に入るべきことではない」
本を盗んだとからかわれた孔乙己が、顔を赤くして言い返す言葉。体面にすがる姿が笑いを誘い、魯迅の筆の哀しさが浮かぶ。
「上出来、上出来。じゃ茴の字に四つの書き方があるのを知っているか」
茴香豆の「茴」の字を書けた小僧に、孔乙己が得意げに尋ねる言葉。役に立たない学識を誇る姿として、中国でもよく知られる場面。
たぶん孔乙己は死んだに違いない。
店に姿を見せなくなった孔乙己を語り手が思う、作品の最後の一文。誰にも顧みられずに消えた落ちぶれ読書人の行く末を短く告げる。