山本周五郎の名文

山本周五郎の作品から、よく知られた一節を集めました。

7件

樅ノ木は残った

意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公をすることだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立てているのは、こういう堪忍や辛抱、――人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ

原田甲斐が、無実の罪を着て追放となった舎人に語る言葉。華々しく死ぬ意地よりも、人目につかない堪忍と辛抱をこそ人間の生き方とする考えは、汚名を着てまで藩を守ろうとする甲斐の生き方そのものを語っている。

榧に似たその葉や、枝のなりは、いかにも寒さのきびしい土地の木らしく、性が強そうにみえるが、宇乃には、なんとなくさびしげな孤独のすがたをしているように思えた。

山本周五郎『樅ノ木は残った』で、少女宇乃が原田甲斐の樅ノ木を初めて見る場面。北国の木の孤独な姿が、甲斐その人に重なっていく。

生きることには、たしかに多くのよろこびがある。けれども、あらゆる「よろこび」は短い、それはすぐに消え去ってしまう。

原田甲斐が心のなかで語る人生観。喜びの短さを見つめる、甲斐の沈んだ内面がうかがえる一節。

赤ひげ診療譚

現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない、わかるか

赤ひげこと新出去定が、見習い医の保本登に語る言葉。医術の限界を認めたうえで、病の根にある貧困と無知とこそ闘わねばならないとする、この作品を貫く信念が示される。

その門の前に来たとき、保本登はしばらく立停って、番小屋のほうをぼんやりと眺めていた。

『赤ひげ診療譚』の書き出し。長崎遊学から戻った青年医・保本登が、気の進まないまま小石川養生所の門前に立つ。

青べか物語

浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。

『青べか物語』の「はじめに」の冒頭。漁師町・浦粕(モデルは浦安)の姿を、貝と海苔と釣場の町として淡々と描き出す。

さぶ

小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。

山本周五郎『さぶ』の書き出し。両国橋を泣きながら渡るさぶと、追ってくる栄二の、二人の対照が最初の場面で描かれる。

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