狂歌とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- きょうか
和歌の形式(五・七・五・七・七)を借りて、滑稽と風刺、言葉遊びを楽しむ短詩。古くから戯れ歌としてよまれてきたが、江戸後期の天明年間(1781年〜1789年)に江戸で爆発的に流行し、狂歌史の黄金時代を築いた。その中心にいたのは、幕臣でありながら四方赤良の号で健筆をふるった大田南畝(蜀山人)で、唐衣橘洲・朱楽菅江とともに天明狂歌の三大家と称される。天明3年(1783年)、南畝と朱楽菅江が編んだ『万載狂歌集』は、勅撰集『千載和歌集』の書名も体裁もそっくり真似た仕立てで、二百人を超える作者の狂歌を四季・恋・雑に分類して収めた。古歌の格調をわざと俗な内容にすり替えるおかしみを身上とし、同じころ庶民に広まった川柳と並んで、江戸の言語遊戯の頂点をなす。狂歌師には黄表紙の作者や浮世絵師と重なる者も多く、天明期の江戸文化そのものを彩る存在であった。明治以降は文芸としては衰えるが、世相をよむ風刺の役割は新聞や雑誌の投書欄の川柳へと引き継がれていった。