新勅撰和歌集とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- しんちょくせんわかしゅう
九番目の勅撰和歌集。貞永元年(1232年)に後堀河天皇の命を受けた藤原定家が一人で撰び、文暦2年(1235年)に完成した。全20巻に1374首を収め、定家による仮名序がある。『新古今和歌集』の撰者の一人であった定家が晩年に単独で手がけた集だが、技巧を凝らした『新古今和歌集』とは異なり、平明で落ち着いた歌風を示す。最も多く採られたのは藤原家隆で、藤原良経・藤原俊成がこれに続き、定家自身の歌は控えめに抑えられた。承久の乱(1221年)後の情勢を映して、乱によって配流された後鳥羽院・土御門院・順徳院の歌は収められず、一方で源実朝や北条泰時など鎌倉幕府にかかわる武家の歌が多く採られた。そのため、「もののふの八十宇治川」という言い回しにかけて「宇治川集」とあだ名されたという。のちに定家の子孫の二条家で重んじられた。『小倉百人一首』には本集から4首が採られ、定家自身の「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」、源実朝の「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」のほか、藤原家隆と西園寺公経の歌がある。定家が撰んだとされる『小倉百人一首』は後鳥羽院・順徳院の歌で締めくくられるが、両院の歌の出典は、定家の子の藤原為家が撰んだ『続後撰和歌集』である。