千載和歌集とは

分類
形式・ジャンル
読み
せんざいわかしゅう

七番目の勅撰和歌集。寿永2年(1183年)に後白河院の院宣を受けた藤原俊成が撰び、文治4年(1188年)に奏覧した。序には前年の文治3年の日付がある。全20巻に約1290首を収め、釈教と神祇をそれぞれ独立した巻として初めて立てた。源俊頼の歌を最も多く採り、撰者の俊成自身や藤原基俊、崇徳院、俊恵、和泉式部、西行らの歌が並ぶ。『古今和歌集』の伝統に立ち返りつつ、俊成が理想とした幽玄の境地を開き、次の『新古今和歌集』の歌風へとつながる集と位置づけられる。院宣の下った寿永2年の夏、平家は都を落ちた。『平家物語』巻第七の「忠度都落」では、平忠度が途中から引き返して師の俊成を訪ね、自作の歌を書いた巻物を託して勅撰集への入集を願う。のちに俊成は、勅勘を受けた忠度の名を伏せ、「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな」の一首を「読人しらず」として本集に入れたと語られる。『小倉百人一首』には本集から15首が採られ、『古今和歌集』に次いで多い。俊成自身の「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」や、西行の「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」もその中にある。

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