福翁自伝(福沢諭吉)のあらすじ・登場人物
門閥制度は親の敵で御座る
- 作者
- 福沢諭吉
- 発表
- 1898年(明治31年)7月
- 初出
- 時事新報
- 種別
- 随筆
- ジャンル
- 歴史
- 舞台
- 大分県
- 大阪府
- 東京都
- 文字数
- 209,832字
- 読了目安
- 約7時間
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
六十五歳の福沢諭吉が速記者に口述した自叙伝。中津の下級武士の家に生まれてから、緒方洪庵の適塾での猛勉強、三度の欧米渡航、慶應義塾の創設、そして明治日本を見届けるまでを、飾らない語り口で語り尽くす。日本近代のもっとも面白い自伝と評され、いまも読み継がれる一冊である。
あらすじ
「福澤諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福澤百助」——語りはそう始まる。大阪の中津藩蔵屋敷で生まれ、父を二歳で失って中津に帰った諭吉少年は、身分の低さゆえに何をしても報われない封建の空気のなかで育った。「門閥制度は親の敵で御座る」という有名な一句が、その怒りを言い当てている。十九歳で長崎へ蘭学修業に出て、やがて大阪の緒方洪庵の適塾へ入り、そこで壮絶な勉強に明け暮れる。塾生たちは枕を使わずに寝るほど原書に没頭し、酒と悪ふざけに憂さを晴らした。江戸に出て蘭学塾を開いた諭吉は、開港地の横浜を訪れて自分の学んだオランダ語がまったく通じないことを知り、その日から英語へ切り替える。咸臨丸でアメリカへ渡り、幕府使節としてヨーロッパを歴訪し、再びアメリカへ。西洋文明の実態を「常識」として持ち帰ったこの経験が、「西洋事情」以下の著作と、慶應義塾での教育に結実してゆく。攘夷の嵐のなかで命を狙われ、夜道を避けて暮らした日々。上野の彰義隊の砲声を聞きながら講義を続けた話。政府には決して仕えず、一身の独立をもって一国の独立をなそうとした生涯。老いてなお諭吉は言う——自分の生涯にやってみたいことは三つある。国民の気品を高尚に導くこと、宗教を引き立てて民心を和らげること、大いに金を投じて高尚な学理を研究させること。健全なるあいだは身に叶うだけの力を尽くす積りです、と。
登場人物
- 福澤諭吉 語り手。中津藩士の子から慶應義塾の創設者へ
- 緒方洪庵 大阪・適塾の師
- 福澤百助 諭吉の父。早くに没した
- 於順 諭吉の母
人物相関図
章ごとの「厳選あらすじ」
アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。
- 一 この作品について
- 二 主要人物
- 三 主要なサブキャラクター
- 四 中津の少年時代──門閥制度は親の敵で御座る
- 五 長崎遊学──家老の子に追われて
- 六 緒方の塾風──枕をせぬ日々
- 七 江戸の蘭学塾と、横浜の衝撃
- 八 三度の洋行──咸臨丸から欧州へ
- 九 攘夷の嵐と暗殺の恐怖
- 十 王政維新──上野の戦争の日も課業は罷めず
- 十一 仕官せざる生涯──老余の半生
- 十二 この自伝を貫くもの
冒頭部(原文より)
幼少の時 福澤諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福澤百助、母は同藩士族、橋本浜右衛門の長女、名を於順と申し、父の身分はヤット藩主に定式の謁見が出来ると云うのですから足軽よりは数等宜しいけれども士族中の下級、今日で云えば先ず判任官の家でしょう。
『福翁自伝』福沢諭吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
私の生涯の中に出来して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧かしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にても孰れにても宜しい、之を引立てゝ多数の民心を和らげるようにする事と、大に金を役じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、凡そこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りは唯安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身に叶う丈けの力を尽す積です。
『福翁自伝』福沢諭吉(青空文庫)
原文を読む
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