述懐(種田山頭火)のあらすじ・登場人物
句作即生活ころり往生
- 文字数
- 472字
- 読了目安
- 約1分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
種田山頭火が「広島逓友」に寄せた、ごく短い自己告白の文章。その日の暮らしにも困りながら、飲み食いしなくても句は作り続けるという句作一筋の暮らしと、「ころり往生」への願いを淡々と記す。山頭火の人生観を数行で言い切った一篇で、よく引かれる。
あらすじ
文章は、食うや食わずの生活でも毎日毎夜句を作っている、腹が空いていても句はできる、という告白から始まる。山頭火にとって生きることは句作することであり、句作はそのまま生活だと言い切る。念願は二つ。ほんとうの自分の句を作り上げることと、病んで長く苦しまず、人に厄介をかけない「ころり往生」を遂げること。心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている、いつ死んでも悔いない心がまえはあるが、そのための用意は整っていないのが残念だとも書く。最後は、無能無才、小心にして放縦、怠慢にして正直と自分の矛盾を並べ、「意志の弱さ、貪の強さ――ああこれが私の致命傷だ!」と締めくくる。
冒頭部(原文より)
――私はその日その日の生活にも困っている。食うや食わずで昨日今日を送り迎えている。多分明日も――いや、死ぬるまではそうだろう。だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは怠らない。いいかえると腹は空いていても句は出来るのである。水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあっては生きるとは句作することである。句作即生活だ。
「述懐」種田山頭火(青空文庫)
末尾部(原文より)
――私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまえを持ちつづけている。――残念なことにはそれに対する用意が整うていないけれど。―― ――無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵している私は恥ずかしいけれど、こうなるより外なかったのであろう。 意志の弱さ、貪の強さ――ああこれが私の致命傷だ! (「広島逓友」昭和十三年八月)
「述懐」種田山頭火(青空文庫)
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