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草木塔(種田山頭火)のあらすじ・登場人物

分け入つても分け入つても青い山

種田山頭火 1940年(昭和15年)4月

文字数
13,549字
読了目安
約27分
表記
新字旧仮名

この作品について

「分け入つても分け入つても青い山」——放浪の俳人・種田山頭火が、生涯の句業を自ら編んだ句集。出家得度から行乞の旅、山陽・山陰・四国・九州をさまよった歳月が、章ごとの短い散文とともにたどれる。季語も五七五も持たない自由律の句が、歩きつづけることそのものであった一生を刻んでいる。没する年に刊行された、事実上の遺句集である。

あらすじ

「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」——十歳のときに投身自殺した母への献辞で、この句集は始まる。第一章「鉢の子」は、大正十四年に出家得度して熊本の味取観音堂の堂守となったところから説き起こされる。「松はみな枝垂れて南無観世音」。翌年、解くすべもない惑いを背負って行乞流転の旅に出た山頭火は、そこで生涯の代表句を得た。「分け入つても分け入つても青い山」「炎天をいただいて乞ひ歩く」。友であった尾崎放哉の訃に和して「鴉啼いてわたしも一人」と詠み、「生死の中の雪ふりしきる」と続ける。以後、山陽道・山陰道・四国・九州をあてもなくさまよいながら、「まつすぐな道でさみしい」「しぐるるや死なないでゐる」「ほろほろ酔うて木の葉ふる」といった句が生まれてゆく。旅と酒と孤独、そのあいだにわずかにさしこむ人の情——章が進むにつれて、四国遍路、信濃の旅、そして松山の一草庵での静かな暮らしへと歩みは移る。「所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう」。昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にてと記して句稿は閉じられ、その年の十月、山頭火は五十八年の放浪の生涯を終えた。

冒頭部(原文より)

若うして死をいそぎたまへる 母上の霊前に 本書を供へまつる 鉢の子 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 松はみな枝垂れて南無観世音 松風に明け暮れの鐘撞いて ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる 大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 分け入つても分け入つても青い山

「草木塔」種田山頭火(青空文庫)

末尾部(原文より)

鴉とんでゆく水をわたらう  三年ぶりに句稿(昭和十三年七月―十四年九月)を整理して七十二句ほど拾ひあげた。  所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。 (昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて 山頭火)

「草木塔」種田山頭火(青空文庫)

名文

分け入つても分け入つても青い山

行乞流転の旅に出た山頭火の代表句。季語も定型も捨てたまま、歩いても歩いても果てない青い山だけが立ちはだかる。

うしろすがたのしぐれてゆくか

行乞の旅を続ける自らの後ろ姿を、時雨の中に見送るように詠んだ一句。自由律俳句を代表する孤独のかたち。

まつすぐな道でさみしい

行乞の旅の途上の句。まっすぐに続く一本道の見通しのよさが、かえって行く先の孤独を際立たせる。自由律俳句ならではの口語の響きが胸に残る。

鴉啼いてわたしも一人

「放哉居士の作に和して」と前書のある句。尾崎放哉の「咳をしても一人」に応えて、鴉の声を聞く自分の孤独を重ねた、自由律の二人を結ぶ一句。

あるけばかつこういそげばかつこう

信濃路での句。歩いても急いでも郭公が鳴く——同じ言葉の繰り返しが歩みのリズムと鳥の声を重ね、旅の軽やかな一面を伝える。

この道しかない春の雪ふる

自分にはこの道しかないと思い定める句。春の雪が降るなかを歩む姿に、放浪の生き方を引き受けた覚悟がにじむ。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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