種田山頭火の生涯と代表作

分け入っても青い山

生没
1882–1940
出身
山口県
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略歴

1882年(明治15年)、山口県防府の大地主の家に生まれる。本名は正一。十歳のとき母が投身自殺し、その記憶は生涯を貫く傷となった。早稲田大学を神経衰弱で中退、家業の酒造も破産し、妻子と別れて各地を流浪する。1925年(大正14年)、熊本の寺で出家得度して味取観音堂の堂守となり、翌年から笠と鉄鉢を手に行乞の旅に出た。「分け入つても分け入つても青い山」「まつすぐな道でさみしい」など、荻原井泉水に学んだ自由律俳句で、歩きつづける生そのものを詠んだ。旅の記録だけでなく、庵に落ち着いて暮らした時期の日記・随筆も多く残す。防府や小郡、松山での生活と旅を繰り返し、自然や日々の食事、人との出会いを短い言葉に凝縮した。1940年には一代句集「草木塔」を刊行し、同年、松山の一草庵で57歳の生涯を閉じた。

収録作品

名文

種田山頭火の名文

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