種田山頭火の生涯と代表作
分け入っても青い山
- 生没
- 1882–1940
- 出身
- 山口県
- Wikipedia
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略歴
1882年(明治15年)、山口県防府の大地主の家に生まれる。本名は正一。十歳のとき母が投身自殺し、その記憶は生涯を貫く傷となった。早稲田大学を神経衰弱で中退、家業の酒造も破産し、妻子と別れて各地を流浪する。1925年(大正14年)、熊本の寺で出家得度して味取観音堂の堂守となり、翌年から笠と鉄鉢を手に行乞の旅に出た。「分け入つても分け入つても青い山」「まつすぐな道でさみしい」など、荻原井泉水に学んだ自由律俳句で、歩きつづける生そのものを詠んだ。旅の記録だけでなく、庵に落ち着いて暮らした時期の日記・随筆も多く残す。防府や小郡、松山での生活と旅を繰り返し、自然や日々の食事、人との出会いを短い言葉に凝縮した。1940年には一代句集「草木塔」を刊行し、同年、松山の一草庵で57歳の生涯を閉じた。
収録作品
- 行乞記 (一) 1930年(昭和5年)9月
- 行乞記 1930年(昭和5年)9月
- 行乞記 三八九日記 1930年(昭和5年)12月
- 私を語る/――(消息に代えて)―― 1931年(昭和6年)2月
- 行乞記 (二) 1931年(昭和6年)12月
- 行乞記 (三) 1932年(昭和7年)6月
- 『鉢の子』から『其中庵』まで 1932年(昭和7年)12月
- 行乞記 室積行乞 1933年(昭和8年)5月
- 行乞記 北九州行乞 1933年(昭和8年)6月
- 行乞記 伊佐行乞 1933年(昭和8年)6月
- 行乞記 大田 1933年(昭和8年)7月
- 行乞記 山口 1933年(昭和8年)7月
- 行乞記 仙崎 1933年(昭和8年)8月
- 行乞記 大田から下関 1933年(昭和8年)8月
- 行乞記 広島・尾道 1933年(昭和8年)9月
- 述懐 1938年(昭和13年)8月
- 草木塔 1940年(昭和15年)4月