寺田寅彦の名文
寺田寅彦の作品から、よく知られた一節を集めました。
7件
団栗
亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。
寺田寅彦『団栗』(1905年)の結び。若くして逝った妻の忘れ形見がどんぐりを拾う姿に、妻の面影を重ねる。抑えた筆致で悲しみを語らず、子の行く末への祈りで閉じる。寅彦の初期の小品。
津浪と人間
しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。
寺田寅彦『津浪と人間』(1933年)より。昭和三陸津波の後、人が忘れても自然は同じ災いを繰り返すと説く。この後に「自然ほど伝統に忠実なものはない」と続き、災害のたびに読み返される随筆となった。
科学者とあたま
頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。
科学者に必要な資質を逆説で語った随筆の一節。自然を恋人とし、盲目なまでに打ち込む者にだけ自然は秘密を明かすと説く。
けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。
同じ随筆の一節。失敗を恐れない「頭の悪い」者たちの数知れない犠牲の上に科学が築かれてきたことを、壮絶な比喩で語る。
つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。
随筆の結論にあたる一文。愚直に自然に向き合う「頭の悪さ」と、正確な観察と推理の「頭のよさ」とを兼ね備えねばならないとする、寅彦の科学観の要。
天災と国防
文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
物理学者でもあった寅彦が、防災の心得として説いた一節。文明が進むほど自然災害の被害は大きくなると指摘し、今も防災の文脈で広く引かれる。
小爆発二件
ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。
浅間山の小爆発を体験した随筆の一節。恐れすぎず侮りすぎず「正当にこわがる」ことの難しさを説いた言葉は、災害などのたびに引かれる。