津浪と人間(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物
繰り返す津浪と忘れる人間
- 文字数
- 4,372字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
物理学者で随筆家の寺田寅彦が、1933年(昭和8年)5月の雑誌「鉄塔」に「尾野倶郎」の筆名で発表した随筆。同年3月3日に三陸沿岸を襲った昭和三陸津波を受けて書かれた。明治二十九年の三陸大津波からほぼ三十七年を経て、同じ災害が繰り返されたのはなぜか。寅彦は、備えを怠った住民を責める学者と、警告が遅いと訴える罹災者のどちらにも理があるとしたうえで、災害の記憶が世代の交代とともに薄れていくことこそ人間界の「自然現象」だと指摘する。記念碑の行方、法令の移り変わり、科学教育の役割にまで筆を進め、平易で皮肉の利いた文章で、繰り返す天災と忘れやすい人間の関係を論じた一編。のちの大災害のたびに読み返されてきた。
あらすじ
昭和八年三月三日、三陸沿岸を津浪が襲い、多くの人命と財産を奪った。明治二十九年の三陸大津浪からほぼ三十七年後のことである。これほど度々繰り返される自然現象なら、住民はとうに備えていてもよさそうなものだが、実際にはそうならない。学者は、数十年ごとに津浪が来るのは既定の事実で、強い地震のあとに津浪が来ることもわきまえないのは不用意だと言い、罹災者は、それほど分かっているなら前もって警告してくれと言う。どちらにも道理があり、これが人間界の「現象」なのだと寅彦は書く。災害直後には調査がなされ予防策が奨励されるが、三十七年もたてば当時の役人も学者も住民も世を去り、人々はまた低い土地へ移り住む。津浪が数年おきに来るのなら天災ではなくなるだろうし、百年に一度の吹雪は雪を知らない国には大災害になる。法令は役人とともに変わり、記念碑は道路改修のたびに移されて竹藪に埋もれる。しかし自然は過去の習慣に忠実で、新思想の流行にかまわず執念深くやって来る。科学の法則とは「自然の記憶の覚え書き」であり、安政の経験を侮った東京は大正十二年の震災で焼き払われた。人間の寿命を延ばすことも、地震の周期を縮めることもできない以上、残る道は過去の記録を忘れない努力だけだ。津浪は三陸だけの問題ではなく、いつかは太平洋沿岸を襲う大津浪と大地震が来る。寅彦は、人間が昆虫と違って科学によって未来の知識を持てることに望みを託し、地震国の小学校で毎年地震と津浪の特別講演を行うよう提案する。追記には、三陸の災害記念碑が折れて倒れたままだったり、新道ができて旧道沿いの碑が顧みられなくなったりしていること、地震から津浪の到着まで数十分かかるという事実を知る人が現地にほとんどいなかったことが記される。
冒頭部(原文より)
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
「津浪と人間」寺田寅彦(青空文庫)
末尾部(原文より)
(追記) 三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。ある地方では明治二十九年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪の到着するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津浪に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである。
「津浪と人間」寺田寅彦(青空文庫)
名文
しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。
寺田寅彦『津浪と人間』(1933年)より。昭和三陸津波の後、人が忘れても自然は同じ災いを繰り返すと説く。この後に「自然ほど伝統に忠実なものはない」と続き、災害のたびに読み返される随筆となった。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。