アプリで読む

無料・登録不要

珈琲哲学序説(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物

一杯の珈琲がもたらす高揚

寺田寅彦 1933年(昭和8年)2月 「経済往来」

文字数
5,127字
読了目安
約10分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

寺田寅彦が1933年(昭和8年)、「経済往来」に発表した随筆。物理学者にして名随筆家であった寺田が、少年時代に薬用として初めて口にした牛乳入りのコーヒーの記憶から、ドイツ留学中のカフェー、日々の一杯まで、自らとコーヒーとの交渉を軽妙にたどる。やがて話は、一杯のコーヒーがもたらす心身の高揚と、科学や芸術の創造との関わりへと及んでゆく。寺田随筆の妙味あふれる一編である。

あらすじ

八、九歳のころ、医者の命令で初めて牛乳を飲まされた。当時の牛乳は嗜好品ではなく、主として病弱な人間の薬用品であった。牛乳がどうにも臭くて飲めなかった「私」のために、医者はそれに少量のコーヒーを配剤することを忘れなかった。粉にしたコーヒーをさらし木綿の小袋に入れ、熱い牛乳に振り出す――こうして生まれて初めて味わったコーヒーの香味は、田舎育ちの少年をすっかり心酔させてしまった。すべてのエキゾティックなものに憧れる子供心に、その南洋的西洋的な香気は、未知の極楽郷から遠洋を渡って来た薫風のように感ぜられたのだった。やがて高等学校時代、三十二歳でのドイツ留学、ベルリンの下宿の老主婦が淹れてくれたよいコーヒー、カフェーでの一杯……と、「私」は自らとコーヒーとの交渉を、こまやかな記憶とともにたどってゆく。そして話は、一杯のコーヒーがもたらす心身の爽快な高揚と、科学者の研究や芸術的創造との関わり、日常のなにげない習慣のなかにひそむ「哲学」へと、軽やかに及んでゆく。「コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった」――物理学者にして名随筆家・寺田寅彦の妙味あふれる随筆である。

冒頭部(原文より)

 八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くって飲めず、飲めばきっと嘔吐したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったころであった。  始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量のコーヒーを配剤することを忘れなかった。とにかくこの生まれて始めて味わったコーヒーの香味はすっかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまった。

「珈琲哲学序説」寺田寅彦(青空文庫)

末尾部(原文より)

 芸術という料理の美味も時に人を酔わす、その酔わせる成分には前記の酒もあり、ニコチン、アトロピン、コカイン、モルフィンいろいろのものがあるようである。この成分によって芸術の分類ができるかもしれない。コカイン芸術やモルフィン文学があまりに多きを悲しむ次第である。  コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いの効果であるかもしれない。

「珈琲哲学序説」寺田寅彦(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品