柿の種(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物
「渋柿」に書き流した短章二百余
- 文字数
- 70,151字
- 読了目安
- 約2時間20分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
俳句雑誌「渋柿」の巻頭に十数年にわたって書き継がれた、寺田寅彦の短章集。数行から一ページの断片が二百以上ならび、電車の中の人間観察、実験室の失敗、夢の記録、映画評、科学と芸術の関係が、気ままな筆で書きとめられる。日記でも随筆でもない、寺田寅彦のもっとも自由な文章がここにある。
あらすじ
「大正九年ごろから、友人松根東洋城の主宰する俳句雑誌『渋柿』の巻頭第一ページに、『無題』という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た」——自序によれば、これらは締切に追われて不用意に机の前に座り、大急ぎで書く種を捜して書き流したものだという。雑誌の読者にというより、東洋城や小宮豊隆に読ませるつもりの、いわば書信集か日記の断片にすぎない、と寺田は謙遜する。だがそこに並ぶ短章は、身辺の些事から出発して、いつのまにか思いがけない普遍へと届いてしまう。電車で見かけた人の癖、猫の仕草、火事、地震、蓄音機とラジオ、活動写真、実験の失敗、学生との会話、夢に見た光景。ある断章では線香花火の火花から樹枝状の物理を論じ、別の断章では俳諧の連句の構造を科学の眼で読み解く。「言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなもの」と自ら言いながら、全体として客観して見ると、一人の人間を通して見た現代世相の推移の反映のようなものが見られる——それが刊行の理由だと寺田は書く。巻末近くには、幼時に見た見世物小屋の「ガラスを食う山男」の記憶が、三十余年後に胃潰瘍で床についていたとき忽然と甦った話が置かれ、生きるためにガラスを食って自殺を遂げたようなその男に、街の紳士たちの姿が重ねられている。
冒頭部(原文より)
自序 大正九年ごろから、友人松根東洋城の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一ページに、「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。中ごろから小宮豊隆が仲間入りをして、大正十四、五年ごろは豊隆がもっぱらこの欄を受け持った。
「柿の種」寺田寅彦(青空文庫)
末尾部(原文より)
この幼時に見た珍しい見世物の記憶が、それから三十余年後に自分が胃潰瘍にかかって床についていたときに、ふいと忘却の闇から浮かび上がって来た。 あの哀れな山男は、おそらくあれから一、二年とはたたない間に消化器の潰瘍にかかってみじめな最期を遂げたに違いない。言わば、生きるためにガラスを食って自殺を遂げたようなものである。 街の紳士の場合もいくらかこれと似たところがあるかもしれない。
「柿の種」寺田寅彦(青空文庫)
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